しんどいオシゴト

ユニクロのブラタンクトップを着るようになってから、ほとんどブラジャーをつけることがなくなった。締めつけもないし、着るときも楽ちんだし、ほんとうに良いことだらけだ。強いて言うなら、一般的な女性用の下着みたいに上下セットになっているわけじゃないから、下にはくものを選ぶ手間がある。今日のパンツはどれにしようかなあ、なんて布団のなかで悶々としているうちに1時間も2時間も過ぎていたりする――と、いうのはさすがにおおげさだったかもしれない。

目が覚めてからなかなか起き上がれなかったのは、今日はく下着を決められなかったからだけじゃなく、仕事に行きたくなかったからだ。いや、それも的確じゃない。「仕事に行きたくない」というハッキリした輪郭すら持たない茫洋とした、しかし心身をたしかに貫通する絶望感。

わたしは適応障害と診断された。

修士課程を出て、いまの会社に就職したのが今年の4月。いろいろあって入社後数ヶ月で部署を異動することになったのだけれど、それからわたしの業務量は倍以上になった。でも、業務量が増えたことはさほどしんどくなかった。やりたい仕事をやりたいようにやらせてもらっていたし、部署のリーダーもわたしの仕事を過分に評価してくれている。修士課程に入るまえお役所で勤めていた経験があるだけに、給与や待遇面に若干の不満は感じたものの、仕事内容は面白いとおもっていた。


問題は、おなじ部署の先輩(いちおう役職者)だった。この先輩が厄介なひとで、とにかく無邪気なんである。無邪気に仕事を忘れ、無邪気に人を差別し、無邪気に誰かの手柄を奪う。

たとえば、その先輩が入社して数ヶ月しか経っていないわたしの目から見ても明らかに不備のあるデータを客に出そうとしていたことがあった。「●●の資料なんですけど、送るまえにもう一度ご確認いただいた方が…」とわたしが言いかけると、「だよね~! わたしもそう思ってた!」という調子で遮られる。「そう思ってた」なら新人に指摘されるまえに自主的にやってほしいものだけれど、こんなことが一日に何回も起きるのだ。かつ、結局そのデータの修正も先輩はひとりでこなすことができず、最終的にはわたしが手を入れて提出することになる。にもかかわらず、その先輩は上司に対するアピールだけは絶対に忘れなくて、「大変なデータ量だったけれど納期以前に完璧な状態で出せました」と、まるでじぶんひとりの手柄かのように報告するのだった。

また、その先輩は相手の性別によってあからさまに対応を変えるタイプの女性で、わたしのような生意気な同性の後輩にはぶっきらぼうに接する一方、異性の上司には必要以上に媚を売る。媚を売られた上司の方も、「確かにアイツは仕事ができるとは言えないけれど、可愛いところもあるんだよ」と満更でもなさそうな様子でわたしをたしなめにかかる。その二人が「エルジービーティー」について冗談めかして言い合いながら笑っている場面をみて、わたしは反吐が出そうだった。

職場のひと、友人、さまざまなひとにわたしは愚痴をこぼした。けれども、「仕事ができない上司や先輩なんかいくらでもいる」「差別的なにんげんが無邪気というのはありふれたはなし」と、そんな風に言われるたび、この身が切り刻まれるおもいだった。特にこたえたのは、部署の責任者から「きみは仕事ができすぎる、やりすぎる。他人の分まで働く必要はないし、そんなに頑張ったってじぶんがつらくなるだけだよ」と、言われたことだった。


同じ立場の同僚に処世術のアドバイスとして言われるならまだしも、部署を束ねる責任者にそれを告げられるのは、かなりキツいものがある。そのときのわたしには、「おまえのことは見殺しにする」という死刑宣告のように響いた。問題のある部下(しかも社歴の長い役職者)を野放しにするなんて、マネージメントの放棄もいいところじゃないか。働けば働くだけ損をする。そういう仕組みの組織なのだった。

いくら仕事の内容が面白いとはいえ、わたしは段々この会社で働いている意味がわからなくなっていった。例の先輩に話しかけたり、話しかけられたりするたびに動悸がするようになった。職場にいる日は午前中断続的な吐き気に襲われ、家にいるときも突然涙が出てきたり、楽しいことをしていても気分が上がらなくなったりし、文字通り身も心もぼろぼろだった。

「仕事はできないけれど可愛げがあるから」という理由で先輩を評価する上層部も、その「可愛げ」とやらを隠れ蓑に上層部には良い顔をし、わたしには仕事を押しつける先輩も、「仕事ができすぎて可愛げがない」と言われてしまうわたし自身のことも、ぜんぶがぜんぶイヤになってしまった。しんどい。先輩のようになりたいとも、こんな上層部に評価されたいともおもわないけれど、この会社を飛び出していくだけの体力も気力もないじぶんがとにかく情けなく、恥ずかしかった。


しかも、つらいのは「お仕事」ばかりではない。「推し事」もしんどかった。すでに何度かこのブログでも書いているけれど、わたしの生きる希望こと中島健人さんの所属するSexy Zoneさんが、今年の24時間テレビのメインパーソナリティーを務めていたのだった。
lvknty133.hatenablog.com

「障害」や「難病」をげびた感動コンテンツにしたてあげる番組だと、散々文句を言っていたにもかかわらず、わたしはあろうことかこの番組の観覧に参加してしまった。2ヶ月ぶりの中島健人さんの実在に胸打たれる一方で、引き裂かれるようなおもいも感じていた。思想信条に真っ向から反しているコンテンツを、推しが出ているからというだけの理由で、「鑑賞」してしまったじぶんを許せそうになかった。そして、ちょうどそれくらいの時期から、わたしはまた中島健人さんにふれるのがつらくなってきた。

「また」と書いたのは、これまでも何度か同じような発作に見舞われた経験があるからだ。好きであるがゆえに――この上なく愛しているがゆえに、その対象を避けてしまう。恐らくわたしには生来そういったところがあって、最新の情報を常に追いかけられるわけでもないし、おたくのコミュニティに居場所を見つけられたことはほとんどなかったから、普段からごくマイペースに「推し事」をしているのだけれど、発作が起きるとこの傾向がエスカレートする。

中島健人さんをお見かけすると、やっぱり動悸がする。わけもわからず涙が出そうになる。ご尊顔を見つめていても、数秒も持たずに画面や誌面をおもわず閉じてしまう。ご出演されたワイドショーも、ご紹介された新曲も、毎日更新してくださっているジャニーズウェブ内のブログ(通称KTT)も、どうにもふれられない。10月からはドラマが始まる。12月には主演映画もある。これからますますお仕事に励まれていくであろう中島健人さんのかがやかしいおすがたを、中島健人さんのきらめきを、いまのわたしでは受け止めきることができない。

中島健人さんが生きる希望なのに、中島健人さんが生きる目的なのに、その中島健人さんにふれることすらもしんどくなってしまう。じぶんの生活があまりにもひどいありさまで、これでは中島健人さんに顔向けできない、とおもうからなのか。それとも、中島健人さんという圧倒的な存在に打ちのめされて、じぶんの生活を立て直す意欲をそがれてしまうからなのか。あるいは、中島健人さんの放つ強すぎる光に飲み込まれて、とめどない自己嫌悪に陥ってしまうからなのか。

じぶんでもわからない。けれどもひとつ言えるのは、中島健人さんなしの人生など、わたしにはありえないということだ。


いまはピーク時に比べて幾分状況が好転している。職場の責任者には例の先輩といっしょに働くことがむずかしいことを率直に訴え、診断内容も伝えた。根本的な解決には至っていないものの、ある程度は配慮されるようになった。とはいえその一方で、この環境でこれ以上は望めないのだという諦念も得た。これからどこでどうやって働き、誰かと生きていくのか、あるいはひとりで生きていくのか、そういうことを考える余裕はまだない。一日一日をやり過ごすのに精一杯。好きなひととの約束は守れないくせして、好きでもないひととは軽薄にデートを重ねたりしてしまう。

わたしはじぶんのしんどさを言い訳に、他人に迷惑行為をしまくっているダメなにんげんなのだった。好きなものを大切にできないし、嫌いなものを拒めない。おまけにブログの記事にオチひとつつけられないのだった。中島健人さんの目にこんなわたしはどう映るだろう。たとえオシゴトのつらさに喘いでいたとしても、せめて中島健人さんに恥じないセクシーな生きざまを目指したい――と、買ったはいいもののなかなか開けない「装苑」11月号(中島健人さん掲載号)をまえにしておもうのだった。

それでも夜は明けるけれど わたしにとってはツラいんだよな

そこそこ付き合いの長いおんなともだちに「あなたと恋人になりたい」と言われた。わたしは困った。その子がおんなのこだからとか、その子のことを意識していなかったからとか、そういう理由で困ったのではない。むしろわたしはその子のことがすきだった。その子とどうにかなれればいいな、とおもったことも一度や二度ではなかった。だからこそ、困り果ててしまった。「すき」と言われた瞬間、わたしはおおきな冷気のかたまりを飲み下したような気分になった。つまり端的に表現すると、わたしは冷めた。一瞬で。その後彼女と会うのが途端に億劫になって、連絡もだんだん返せなくなった。

最終的に「別れよう」と切り出したのは彼女のほうだった。交際していないのに別れるも何もないじゃないか、とおもわれるかもしれないけれど、わたしがともだち関係においても「別れる制度」を導入していることは以前から彼女にも伝えていたので、彼女は律儀にも、わたしの流儀に則って別れるための手続きを踏んでくれたのだ。

彼女と別れてから、しばし呆然としてしまった。薄々感づいていたことではあるけれど、わたしはやっぱりダメだった、とおもった。何がダメかというと、ひとにすかれるのがダメなのだ。

「恋愛」的なニュアンスで、ひとに好意を寄せられることがめっぽう苦手――というより、向いていない。じぶんが誰かを恋愛的な意味ですきになることはあるけれど、誰かに恋愛的な意味ですかれることには嫌悪感を抱いてしまう。それまでどんなに魅力的に見えていた相手だったとしても、じぶんに対して恋愛感情のようなものを向けている、とわかってしまった瞬間、別人のように感じてしまう。すべてが色あせて輝きをうしない、べたべたと肌にまとわりついてくる粘り気のつよい液体に沈められたような、居心地の悪さ。そして息苦しさ。

ひとにすかれるのはしんどい。

「じぶんを愛せないと誰のことも愛せない」とか、「振り向かない相手ばかりをすきになるのはじぶんを愛せていないから」とか、そういう余計なことを言ってくるやからというのはどこにでもいて、かつて幾分いたいけな若者だったわたしはそれらのことばを真に受けて、「そうかあ、わたしはじぶんを満足に愛せていないのだなあ」とか、「じぶんを愛せないじぶんのことを誰かに愛してもらったら、わたしもじぶんを愛せるようになるのかなあ」とか、RADWIMPSの歌詞ばりに恥ずかしいことを素直に考えたりもしていた。いまおもえば、目が覚めてよかったの一言に尽きる。

四半世紀とちょっと生きてきて、わたしもすこしはじぶんのことをわかるようになってきた(まだまだ得体の知れないところも多いけれど)。わたしは別にじぶんのことが嫌いではない。ときどき嫌になることはあるものの、致命的に憎んでいるというほどではないし、「じぶんのこういうところはかわいい」と気に入っている部分も多少はある。鏡を覗きこむたびに「げっ、おもったよりブサイクだった」とイマジナリーなわたしと現実のわたしの乖離にうんざりすることはあっても、深刻におもいつめるようなコンプレックスはない(十代のころとか、容姿コンプレックスでしにそうになっていた時期もあったけれど)。

ただ、むかしからずっと、振り向かない相手ばかりをすきになるという癖は変わっていない。でもわたしは「じぶんを愛せない」わけじゃないし、「誰のことも愛せない」わけでもない。じぶんのことはほどほどにすきだし、ともだちを愛しているし、推したちのひとりひとりを――とりわけ中島健人さんのことを愛している。

そうおもえるようになって、またひとつ、この身にかけられた呪いがとけたのかもしれない。

わたしはちょっと酸味のつよすぎるキレートレモンサワーを飲みながら、ルームメイトに教えてもらった「リスロマンティック」というセクシュアリティが、ひょっとするとじぶんのありようを説明するにはもっとも便利なことばなのかもしれない、とぼんやり考えたり、けれども「リスロマンティック」という概念だけではひろいきれない欲望がきざすことも確かだと、であるならばじぶんはいったい何なのかと、そもそもじぶんが何なのかをどうして決めなければならなくて、どうして決めたくなってしまうのかと、うだうだ自問自答を繰り返したりしていた。

そんなとき、中島健人さんがテレビにあらわれた。

ミュージックステーションの特番が放送されることはあらかじめ知っていて、自宅のテレビでもばっちり録画予約の設定をしていた。けれども、今回の特番は10時間という長丁場(しかも例によって生放送)で、中島健人さんがどのタイミングで登場するのか、わたしは無論知らなかった。要するに、油断していたのだった。

自宅以外の場所で不意につけたテレビ、そこに映っている中島健人さん。いまわたしがテレビを見ているのと同じ時刻に、同じTokyoのどこかで(彼のソロ曲にもじってI'm in Tokyo now.だけどYou're too far away from me nowだとわたしはおもう)、テレビ朝日のスタジオに鎮座ましましている中島健人さん。

まず動悸がした。次に涙が出てきた。

曲の出番のまえのトークコーナーで、ジャニーズWEST重岡大毅さんとじゃれあっている場面からもう耐えられなかった。Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWESTと3グループがいて、各グループの交流について聞かれているのに、ジャニーズWEST重岡大毅という個人を狙い撃ちして「ごはんに来てくれない、親友なのにツレない」とのたまう中島健人さん。それにちょっぴりはにかんだような笑顔で応対する重岡大毅さん。なんだこれは。全国にお届けされる生放送でなんてものを流してくれるんだ、とわたしは早くも感極まっていた。重岡大毅さんと中島健人さんは、水と油みたいに一見すると真逆のタイプのアイドルのようでいて、核となる部分に秘めている意識や情熱や技術に関しては、とてもよく似たところのある二人、だとおもう。その二人の友情を数年前から(勝手に)見守っているわたしの胸は、はりそけそうだった。

そればかりではない。

トークのあとに続いたジャニーズWESTのパフォーマンスも、A.B.C-Zのパフォーマンスももちろんすばらしかったのだけれど、やっぱりわたしの情緒がもっとも揺さぶられたのは、Sexy Zone「ぎゅっと」。

このブログでも「ぎゅっと」という歌のことは何度も書いているような気がするけれど、先に書いたような理由で――すきなともだちをひとりうしなってしまったことで落ち込んでいたわたしには、爪の先で容赦なく傷口をえぐられたあと、そっと消毒液を塗りこまれるような効果があった。

「ぎゅっと」の序盤には、こんな歌詞がある。

「普通に就職してだれかと結婚して 普通に帰って普通に眠る」

「だれかと結婚」するという「普通」が、「だれかと結婚」することが「普通」ではないアイドルによって歌われているのだ。「だれかと結婚」することを「普通」として、「だれかと結婚」しないことを「普通」ではないこととして捉える社会に憤りを感じているわたしは、このフレーズを聞くたびに動揺してしまう。社会への怒りややるせなさはもちろんだけれど、おおっぴらには自由に「恋愛」することすらままならないSexy Zoneが、そんな「普通」を歌うことに対する切なさとかなしさ。そして、Sexy Zoneが歌う「普通」の範疇からはみ出しているじぶんに対する情けなさと恥ずかしさ。

さみしいな、とわたしはおもう。

アイドルのファン――アイドルの歌を聞いていると想定される層の「普通」に、まちがいなくわたしは入っていない。そしてその「普通」に、アイドル自身も入ることはできない(彼らがアイドルである以上)。さらにそれらの屈託と関係がないようであるような次元のはなしとして、わたしはまたともだちをうしなってしまった。じぶんの感情をコントロールできない状態で、他人と親密な関係を築こうとしたじぶんに非があることはあきらかだけれど――だとしても、さみしいものはさみしい。

間奏のあいだに「おじいちゃんおばあちゃん、セクシーサンキュー」と言う中島健人さんはさいこうにチャーミングで、わたしは心臓をそれこそ「ぎゅっと」掴まれたようになってしまった。中島健人さんはきょうもこの上なく愛らしく、しぐさも声もすべてがスウィートで非の打ちどころがなかった。なのにわたしはツラくなってしまった。じぶんが「おばあちゃん」になっても、たぶん隣には誰もいない。生殖したくない。というかそもそも「おばあちゃん」になるまで生きていたくない。少なくとも中島健人さんよりはやくしにたい。中島健人さんのいない世界に生きていたくない。そんなことどもがいちどきに脳裏を駆け抜けていった。

厳密に言うと、ひとりがさみしいというのでも、「普通」になれないのがさみしいというのでも、すきになってくれたひとをすきになれないことがさみしいというのでも、ない。どうしてさみしいのか、どんなふうにさみしいのか、何をどうしたらさみしくなくなるのか。一切わからない。わからないけれど、ただただ痛烈にさみしい。

きのう久しぶりに読み返しただいすきな小説に、こんな一説がある。

「淋しさはたぶん人間の抱える根元的なもので、聡のせいではないのだろう。自分一人が対処すべきもので、誰かに――たとえ夫にでも――救ってもらえる類のものではないのだろう。」

「聡」というのは語り手の女性の夫の名。「普通」に「だれかと結婚」していても拭えないさみしさを抱えている夫婦ふたりが、それぞれに違う相手と恋をする『スイートリトルライズ』というこの作品は、正直に言って小説としてはあらが目立つ。稚拙なところもある。けれども、ふわふわした現実味のなさと、笑っちゃうような俗っぽさのバランスが絶妙で、嘘みたいに「スイート」な読後感がやみつきになってしまうのだった。上にひいたのも、かれこれ10年近く反芻しているフレーズだ。

にんげんはさみしい。あるときからわたしが漠然と、けれども痛切に感じてきたさみしさを、ここまで的確に言いあらわしているせりふは他になかった。この小説は、わたしを安堵させる――とともに、なおいっそうさみしくさせる。



すでに紹介したとおりだけれど、この小説でさみしさを語るひとたちは、異性と「結婚」をして、また別の異性と「恋」をしている。わたしはこのひとたちじゃないし、このひとたちもわたしじゃない。さみしさの理由も対処法もわからないと言ったばかりだけれど、わたしのさみしさの一部は、間違いなくこのことに関わっているのだろう。

異性と恋をすること、異性と婚姻関係をむすぶことが「普通」であるとおもわれていること。

かといって、これもすでに書いたことだけれど、同性とならつつがなく恋ができるかというと、決してそうではないのだ。きっと誰しもそうだけれど、わたしの欲望は複雑で、こんがらがっていて、矛盾だらけで、ひとを踏みにじる(可能性が高い)。こんなふうに考えていると、生きているのがあっさりといやになってしまう。あしたから仕事がはじまるし、しばらく定時には上がれない日々がつづく。

ああ、もうなんもかもやんなっちゃったな、とじわじわ膿を吐きながら広がる傷口に、中島健人さんは、そしてSexy Zoneは、そっと消毒液を吹きかけてくれる。「結婚」や「普通」をめぐって散々わたしを切りつけたその口で、彼らはこんなことを言うのだ。

それでも夜は明けるけれど 君にとってはツラいんだろうな」

そう。わたしはツラい。整体でギックリ腰一歩手前と宣告されたからだが痛んで寝苦しくても、泡盛で焼けた喉の痛みがいつまで経っても治らなくても、どんなにしごとが憂鬱でも、それでも夜は明けるけれど、わたしはツラい。わたしを「普通」という刃で斬りつけたその手で、あっけらかんとわたしの、わたしたちのツラさを肯定してくれるSexy Zone。もうわかんない。なにもわかんない。わたしはただ北極星のように見上げればいつも同じところで光りつづけてくれている中島健人さんを目指して、すすんでいくほかない。ないんだけれど、いまツラいこの気持ちを、どうしたらいいんだろう。情緒がぼろぼろだよ。とりあえずもう一杯だけ飲んで帰るね、あしたも生きるために。

24時間テレビなんていらねえよ、夏

24時間テレビが好きじゃない。ぜんぜん好きじゃない。むしろ虫酸が走るほど嫌いだ。わたしはジャニーズのおたくになって久しいけれど、どれだけ好きなアイドルが出演していようとも、24時間テレビ関連の企画は、なるたけ目に入れないようにしていた。そしてじっと夏が終わるのを待った。

もちろん、今年もそうなる予定だった。

いつかその日が来るかもしれないと覚悟はしていたものの、わたしの敬愛してやまない中島健人さんが所属するSexy Zoneが今年の24時間テレビのメインパーソナリティーになると発表されてから(それも例年よりはやく)、わたしは案の定いたく落ち込んだ。大好きな中島健人が、大好きなSexy Zoneが、大嫌いな24時間テレビに出る――想像しただけで具合が悪くなりそうだった。というかマジでなった。24時間テレビ当日が近づけば近づくほど、中島健人の発信する情報にふれるのがつらくなった。中島健人はわたしにとって生きる意味であり、生きる希望だ。にもかかわらず、その中島健人に接していてさえしんどいというのは、生活にかなりの差し障りがあった。

わたしが24時間テレビを好きになれないのは、番組内における障害や病気の扱い方に強い違和感を覚えるからだ。「障害や病気を抱えているカワイソウなひとびと」の人生を都合よく切り取って、「悲劇」「努力」「家族の愛情/自己犠牲」といったエッセンスをまぶして「感動的な物語」に仕立てあげる。「健常者」が安心して涙することのできる「障害者」の物語は、ほんとうに隠しておきたいことを隠しておくためのカモフラージュのようだ。

たぶん、地球を救うのは「愛」ではない。いや、もしかしたら「愛」が原動力のひとつになることはあるかもしれないけれど、少なくとも「愛」だけでは無理だとおもう。地球を救うのは知識と、権利と、それらに基づいた適切な支援ではないだろうか。「愛」なんて茫漠とした何かに頼るのではなく(それでは単なる思考停止だ)、「障害者」を取り巻く現実に目を向け、考えること。

と、武道館で24時間テレビを観覧しながら、わたしはこれまでの自身の態度を猛省していた。


――そう。あろうことか、24時間テレビの観覧に参加してきたのだ。これだけ文句を言っていながら、中島健人さんに、Sexy Zoneに会いたくて朝4時に起きて単身武道館へ乗り込んだのだった。じぶんの信条を曲げたつもりはない。24時間テレビは存在そのものが危険だとおもっているし、できればなくなってほしいと願っている。にもかかわらず、中島健人に会いたいという気持ちには勝てなかった。最後におすがたを拝んだのは7月1日。1ヶ月以上経っているし、次にいつお会いできるのか、まったく目処が立っていなかった。

わたしは欲望に負けた。24時間テレビの仕事をしている中島健人さんをみるのはしんどくて、心臓に金属の欠片が埋め込まれているように、刺されるような痛みを感じていたけれど、それでも中島健人さんに会いたかった。

ほんとうに、まさか当たるとはおもっていなかったのだ。どうせ当たらないのだから、というかるい気持ちで、少クラやその他の番組協力に申し込むときのように24時間テレビの観覧に応募してしまった。むしろ当たらなければいいとすらおもっていた。にもかかわらず、いざ当選メールが来てみると叫び声を上げてしまった。ケンティーに会える! と一瞬で舞い上がった。けれどもすぐに血の気が引いた。「感動ポルノ」の一部に中島健人が利用されているところなんて見たくない。ぜったいに見たくない。

そうおもいながらも、気がついたら「参加する」という意思表示をしていた。わたしは矛盾のかたまりである。


さて、では実際に観覧に行ってみてどうだったかというと、中島健人に関してはきょうもパーフェクトにすてきだった。24時間テレビは2日間にわたって行われるのだけれど、わたしが参加した2日目の観覧はなかなかハードだ。朝6時半前には集合し、会場に入って観覧が始まるのは7時ごろ。基本的にはそこから夜の21時まで、武道館内にいることが求められる(いわば、14時間程度推しと同じ空間に軟禁されているのだ。いつまででも閉じ込められていたかった、これが24時間テレビじゃなければ)。

想像していた以上に、時間はあっという間に過ぎた。

だって、中島健人がステージにいる。本物の。生身の。生きて歌い踊る中島健人が。彼の一挙手一投足を、わたしは固唾をのんで見守っていた。ゲストの歌で誰よりもたのしそうに振りつけを踊る中島健人さん。じぶんが転んだとき巻き込み事故的に転倒させてしまった番組スタッフの背中に手を添えて、やさしく抱き起こす中島健人さん。メンバー佐藤勝利さんからCM中にこっそりフリスクをもらってお茶目な仕草で食べてみたり、また逆にこれ以上キザなフリスクの食べ方があるだろうかというぐらいにかっこつけて食べてみたりしていた中島健人さん(ちなみに、フリスクのくだりではメンバーとのじゃれ合いが非常に微笑ましく、佐藤勝利さんにフリスクのあの白い箱を太股におかれるなど、ちょっかいも出されていた。愛らしすぎる)。

きわめつけは、クライマックスの挨拶だ。5人それぞれが番組の企画で出会ったひとびととの思い出を語り、じぶん自身のこれまでとこれからを語るとてもエモーショナルな演出のされる場面。わたしが確認できたうち、涙でことばに詰まっていたメンバーは2人いた。佐藤勝利さんと、中島健人だ。

中島健人は、「これまでぼくはアイドルとして完璧を求めすぎるあまり、弱音をこぼせずにいました。」といったような趣旨の発言をしていた。彼は泣いていた。


いま、このタイミングで、中島健人が自身の「弱みをさらけ出せないという弱み」を口にしたこと。ようやく、口に出してくれたこと。

映画にバラエティにコンサートに24時間テレビにと、一目散に駆け抜けてきたことを知っているし、中島健人というひとは、基本的にそれが解決したあとでなければ悩みを吐き出してくれない。彼のファンになってから――というか、彼がわたしの生きる意味、生きる希望になってから、わたしは耐えずそのことにやきもきしていたような気がする。どんなに完璧に見えても、ケンティーだって人の子だ。無理をしてはいけない、無理をさせてはいけない。そうおもいながらも、ただ遠くで悶々とすることのしかできないおたくは、「ケンティーはこんなに頑張ってるのに、わたしときたら……」と、あきらかに間違った落ち込み方をしていた。実に情けないけれど。

でも、きょう、中島健人さんが、ようやっとメンバーとわたしたちの前で「弱音をこぼせずにいた」ことを言葉にして伝えてくれた。そして、同じく涙を浮かべていた佐藤勝利さんも、「ひとりで抱え込んで周りに相談できずにいた」ことをじぶんの言葉で、話してくれた。わたしが唯一24時間テレビに推しグループが出て良かったとおもえたのは、2人のこの涙と、言葉があったこと。アイドルグループとして、ビジネスパートナーをこえた運命共同体として、彼らがじぶんの「弱み」をメンバーに託せるようになるのだとしたら、それはすばらしいことだとおもう。

けれども、観覧のあいだ、わたしは何度もつらくなってしまった。「障害」「難病」を抱えながらも、「前向きに」「ひたむきに」「頑張っている」ひとびと=マイノリティの映像に、涙を流している「健常者」=マジョリティたち。そこには、マジョリティのお気に召すマイノリティ――つまり、マジョリティが「応援」したくなるようなマイノリティであれ、という抑圧が確かにあった。反吐が出そうだった。

どうして障害を持っているひとたちを「頑張らせる」必要があるのだろう? トライアスロンに挑戦していたみやぞん氏のメッセージが思い起こされる。「ぼくがトライアスロンをしているからといって、『じぶんは何も頑張っていない』とおもわないでほしい。みんなはいつも頑張ってるんだから」と、みやぞん氏は語っていたそうだ。「感動ポルノ」の毒を満身に浴び憔悴していたわたしに、そのメッセージはちょっとした救いのように響いた。「頑張る」という表現が適切かどうかはさておき、「じぶんが何もしていないとは思わないでほしい」という彼の発した言葉を、この番組そのものに投げつけたいとおもった。


ところで、今年の24時間テレビのテーマは「人生を変えてくれた人」だった。わたしの人生を変えてくれたひとがいるとしたら、そのうちのひとりはまず間違いなく中島健人さんだ。

わざわざ専門の試験のために2年間も勉強して就職した公務員の仕事をやめ、大学院に入り直して文学を、というか創作を学んだ。修士論文の執筆を支えてくれたのは、他ならぬ中島健人さんだった。彼をおもい、彼に捧げるつもりで、わたしは松浦理英子という作家について論じた。「恋愛」というひとつの権力関係において、ことばがどのように作用するのか、といったところに焦点をあてているのだけれど、言わずもがな、わたしに恋愛とことばというテーマを与えてくれたのは、中島健人である。

だからこそ、わたしは中島健人さんに言いたい。

いや、中島健人さんひとりに背負わせるのは、中島健人さんひとりに突きつけるのは、ひょっとしたら酷なのかもしれない。けれども、常にそこからこぼれ落ちてしまうひとびとのことを案じ、どうしても年若い女性を想定しているようにおもえてしまう「セクシーガールズ」という呼称を、ファンを属性で規定しない「セクシーラバーズ」にアップデートしたあなたなら、いつかこたえてくれるのではないかとおもうのだ。

おたくのひとりよがりであることは充分わかっている。それでも、わたしの人生を変えてくれて、いまなお支え続けてくれている中島健人さんにだからこそ、伝えてたくなってしまったのだった。

あなたの仕事が、あなたの関わった仕事が、誰かを踏みつけてしまうこともあるのだ、と。

あなたがわたしたちに向けてくれる「愛」は、わたしたちを理解しよう、理解したいというあなたのアイドルとしてのプロ意識に裏打ちされている。だからわたしは、あなたがわたしたちファンに向ける「愛」を信じている。

その姿勢を、きっとあなたなら何事にも適用できるとおもう。ひょっとしたら、すでにしてくれているのかもしれないけれど、あなたがわたしたちファンに対してしてくれているように、マイノリティのひとびとにも接してほしいのだ。決してわかったつもりにならず、わからないことをその都度確認しながら、知り続けようとしてほしいのだ。

なんにせよ、「愛」だけじゃ地球は救えない。24時間テレビなんていらねえよ、夏。……と、そんな風に毒づきながらも(世代がバレるネタ)、推しをねぎらわずにはいられない複雑なおたく心だった。お疲れさま、健人くん。お疲れさま、Sexy Zone

生まれ変わったらジャニーズJr.になる

にんげんが抱きうるもっとも強い情動は恋愛に関するものだ、という風潮がなんとなく世間にはある。けれど、少なくともわたしの場合は、じぶんに恋愛感情を抱いているにんげんから言葉を尽くしてその好意を伝えられるより、先輩グループのバックについて全力を出しきった公演が終わって間もなく、上気した顔のシンメに「いつかおまえとテッペンを取りたい」と告げられる方が、はるかにうれしいし、興奮する。息を整える間も惜しい。肩を上下させながら、「おれも同じことおもってた」と、上ずった声でシンメに答える。……もちろん、現世ではまだそんな場面を体験したことはないので、単なる妄想に過ぎないんだけれど。

そう。わたしには恋愛がよくわからない。わからないというよりは、恋愛感情なんかよりもっとずっと、アイドル同士の感情を信じている節がある。

 

そもそも、まずはじめにわたしは二宮和也になりたかった。「なりたかった」と過去形で語るのは適切ではないかもしれない。今でもなれるものならなりたいとおもっている。とはいえ、もっとも彼に執心していたのは中学生から高校生だったころのある時期だった。

コンサートのソロコーナーでこの上なくエモーショナルに柴田淳「夢」を弾き語る彼のすがたを見て、周りの大人はみんな敵だと言わんばかりの警戒心むき出しな瞳でスタジオを睨みつける彼のすがたを見て、「二宮和也はわたしだ」とおもった。いや、むしろ「わたしが二宮和也だ」とおもった。

真偽のほどはもちろんわからないけれど、二宮和也というひとには、むかしから恋愛にまつわるうわさが耐えなかった。今よりももっと多感で、けれどある意味では単純だったわたしは、「でも、二宮和也がどんな恋愛の失敗をしたとしてもいいの、彼はずっと嵐を見捨てないし、嵐もずっと彼を見捨てないもの」なんて、おかしいくらいにおもいつめていた。特にジュニア時代から不思議となついていた大野智との関係や、幼馴染といってもいいであろう相葉雅紀との関係は、二宮和也=わたしにとって重要なものであると考え、「相葉さんは二宮和也=わたしにとって、まさに半身とも言うべき存在」「大野さんは二宮和也=わたしにとって、渡り鳥が羽根を休める止まり木のような存在」などとひたすらエモがっていたのだけれど、あるとき気づいてしまった。

わたし、二宮和也じゃない。

わたしが二宮和也ではないということは、二宮和也もわたしではなく、したがって、わたしが二宮和也として大野智相葉雅紀と関係することはできないということだ。

 

これは由々しき事態だった。なにしろ、当時のわたしにとってもっとも親密でもっとも理想的なにんげん関係というのが、「二宮和也と嵐のメンバー(特に前述の二人)の関係」だったからだ。恋人でも、親友でも、家族でもなく。

そして、わたしが二宮和也ではないということは、わたしにその「もっとも親密でもっとも理想的なにんげん関係」が閉ざされているということに他ならない。わたしは絶望した。なにしろ、当時懸想していた年上のおんなともだちとも「大野と二宮ごっこ」をしていたぐらい、親密なにんげん関係を考えるときの基盤が彼らだったのだ。 

 わたしは、得体の知れない「恋愛」なんてものよりずっと、愛してやまないアイドル同士の関係を、感情を、信じていた。どうしたってじぶんがそこに入ることはできないということに、気付いてしまってからもずっと。

 

「大野と二宮ごっこ」に付き合ってくれたおんなともだちとは、数年もだもだしたあげく別れた。別れ際に「いつかこれは気の迷いだったって分かるときが来るよ。さっさと良い男を捕まえなさい」と言われたのが癪で、けれども同時にしぬほどかなしくて、「これが気の迷いじゃなかったことを証明してやる」という気持ちと、「異性との交際を経験しなければ何も言い返せない」という気持ちでぐちゃぐちゃになり、結局わたしは幾人かの異性と交際した。たのしかったこともあるし、できればもうなかったことにしたい思い出もある。

数年を経ていまおもうのは、やっぱり、彼女とのできごとが「気の迷い」であるはずはなかったということ。そして、彼女のことをいまでも特別に感じるのは、彼女がわたしの根幹にある欲望を誰よりも理解してくれたから、だとおもう(ひょっとしたら、彼女も同じ欲望を抱いていたのかもしれない)。

それはつまり、アイドルになって、アイドルとして、同じアイドルと親密な関係を築きたいという欲望だ。

 

容姿をほめられるのはうれしい。書いた文章について感想をもらえるのもうれしい。好意を伝えられるのも虫唾がはしるほど嫌なわけじゃない。でもたぶん、わたしがいちばんうれしいのは、じぶんのパフォーマンスを褒められたときだ。あのコンサートのセトリがどうだったとか、あの演出がすごかったとか、新曲のダンスが良かったとか、ソロ曲の作詞がすてきだとか、シンメとの一糸乱れぬ動きがすばらしかったとか。それをファンに言ってもらえるのももちろん有り難いことだけれど、グループのメンバーや、シンメに言われたら。いや、ことばにして言われなくてもいい。忙しい合間をぬってソロコンサートの見学にきてくれるとか、じぶんの出番を袖からこっそり見守ってくれているとか、そんなことで充分なのだ。

ああ! アイドルになりたい! でもどんなアイドルでもいいわけじゃない。ジャニーズになりたい。ジャニーズのアイドルでなければ意味がない。ジャニーズJr.になって、生涯をともにするようなシンメと出会って、同じグループでデビューして二人で「テッペン」をとりたい。

 

何かを考えるうえで、かならずしも経験が必須となるわけではない、とおもう。「大野と二宮ごっこ」をしていた彼女に、「良い男を捕まえなよ」という捨て台詞を残された経緯もあって、わたしの場合は「うるせえ! そんなに言うなら男と付き合ってやるわ!」と自棄になってしまった部分もあるけれど、その経験はぜったいに必要だったかと言われると、よくわからない。

ただ、起きてしまったことはどうしようもないから、その経験を踏まえて振り返ってみると、わたしはやっぱり特別異性が「好き」なわけではないようだ。恋愛的な意味では。その一方、異性のジャニーズのアイドルに対しては「なりたい」と羨望するほど強い感情を抱いている。それは言うまでもなく、恋愛感情とは異なる種類のものだ。けれども、「ジャニーズになりたい」からといって、現世を生きるこのからだ、おんなのからだをどうにかしたいのかというと、そういうわけでもない。おんなとして生きている、生きざるを得ない現実がつらくなることもあるけれど、だからといって「男になりたい」とはおもわないのだ。

わたしはただ、ジャニーズのアイドルをしている推しと、「異性」として向き合わなければならないことがしんどい。アイドルとファンとして現世で巡り会えたことには感謝してもしきれないけれど、欲を言うのであれば、「異性」として出会いたくはなかった。わたしは推しと、同じ生業をもつ同性として出会いたかった。

 

「大野と二宮ごっこ」の相手をつとめてくれた彼女と別れてから、交際したり、ほぼ交際していたような間柄に近い距離だったりした相手は、何人かいた。異性ばかりでなく、同性もいたけれど、わたしの欲望に対して、彼女と同等の理解や共感を示してくれた相手はいなかった。にもかかわらず――というより、だからこそと言うべきか――わたしはずっとジャニーズになりたいとおもいつづけている。

交際相手とふたりでいるとき、どんなに親密さを感じることができたとしても、推しの、推したちの関係を目の当たりにすると、わたしはじぶんたちの関係がなんだかよくわからなくなってしまう。

ほんとうは恋愛したいなんておもっていないのに、恋愛のことなんて何ひとつわかっていないのに、わたしはこのひとを騙しているんじゃないか? そんなわたしたちの間柄なんて、推したちののっぴきならない関係に比べたら、取るに足らない暇つぶしでしかないんじゃないか? なにもかもぜんぶくだらない。

じぶんの欲望が手に負えないからといって、ずいぶん身勝手な振る舞いをしてきてしまった、とおもう。わたしは「恋愛」がしたかったんじゃない。「アイドル」になりたくて、「アイドル」をしたかったのだ。でも、どうしたって現世でジャニーズに入ることはできない。ジャニーズに入れないのはもちろんだけれど、ジャニーズの推したちにとっての「アイドル業」のように、心血を注いで成し遂げようするものがわたしにはない。創作? 仕事? なんだかどれも違う気がしてしまう。一生懸命になれるものがないなら、「シンメ」になんて出会えるわけないじゃん。ここまで考えて、いつもわたしはふてくされてしまう。

 

けれども、ひとつの転機があった。

転機――なんていうと大袈裟すぎるかもしれないけれど、それは今年のセクシーゾーンのコンサートでのできごとだった。

このブログでも何度か書いてはいるのだけれど、横浜アリーナで行われたある公演で、トロッコに乗った中島健人がわたしの目の前を通りすぎた。視線が合ったのだろうか。いや、合ってはいないだろう。合っていないとおもう。でも、そうおもわされるには充分な距離と間合いで(たまたま両隣や前後に中島健人のうちわを持っているひとがいなかった)、ダイヤモンドのように飛び散る彼の汗を、わたしは肉眼で目撃してしまった。

かんぺきだ、あまりにかんぺきなひとだ、とおもった。

じぶんのつまらない屈託などどうでもよくなった。圧倒的なうつくしさだった。目に入るもの、耳に届くもの、肌で感じるもの、彼から発せられたすべてのものがわたしにとって「快」だった。得も言われぬ時間だった。わたしは悟った。彼を知ってからずっと、彼になりたいとおもっていた。中島健人になりたいとおもっていた。けれども、中島健人になりたいとおもうにんげんが、中島健人になることはできない。なぜなら、中島健人は、中島健人になろうとおもって、中島健人になったわけではないのだから。

現世で中島健人になることができないのなら、来世で中島健人と出会いたい。中島健人はきっと、来世もジャニーズのアイドルになってくれるだろう。であるならば、わたしも来世はジャニーズJr.に入所して中島健人と出会い、切磋琢磨してデビューを勝ち取りたい。同じグループになれたら無上の喜びだけれど、違うグループとしてデビューするのでも良い。関ジャニ大倉氏とキスマイ北山氏のように、中島健人さんとジャニーズWEST重岡さんのように、つかずはなれずの距離で刺激を与えあう事務所内の良き友人になれるのなら、それはそれで素晴らしいことじゃないか。

 

わたしはそのとき中島健人をごく間近から見つめて、ある意味では吹っ切れたのだろう。わたしには恋愛がよくわからない。じぶんの欲望さえ持て余している。けれども、現世ではまあそれでいいじゃないか。無理して「恋愛」をすることもない。かんぜんに同種の、同質の欲望を抱いているひとなんて探したっているはずもないけれど、笑って話せるひとがゼロなわけじゃないんだし。どんなにしんどくて、孤独におもえても、「適応」する必要はない。切羽詰まったら書けばいい。

そういえば、愉快なルームメイトは「50代目不二周助役のテニミュ俳優になる」といっている。また、「転生したらジャニーズJr.になりたい」といっているインターネット上の友人もいるし、「来世は推しのマイクになりたい」といっているひともいる。生まれ変わってジャニーズJr.になったら、テニミュ俳優のルームメイトといつか連ドラで共演し、現世の友人と事務所で再会し、マイクになった友人を探し当て、いつかコンサートツアーで一緒に全国をまわりたい(推しじゃなくてごめんなさい、と謝りつつ)。

そんなこんなで、24時間テレビが近づいてきたりとか、どう考えても推しが働きすぎだったりとか、いろいろしんどいこともあるけれど、わたしは生まれ変わったらジャニーズJr.になる。ちなみに、ジャニーズJr.になって踊りたい曲ランキングベスト3(2018年8月時点)は、「愛してる愛してない」「Mr.Jealousy」「夜の影」。いつでもジャニーズJr.になれるよう、心の準備だけは万端なのだった。もうちょっと現世もたのしむつもりだけれど。

推しのいない人生

しばしばともだちから「なめこちゃんは好きなものがあっていいね」というようなことを、言われたりする。

きのうは都内でもっともはやい時期に開催されることで有名らしい某所の花火大会に、ともだちと出かけてきた。ともだちに着付けてもらった浴衣を着て、有料の特等席で間近から見上げる花火は、おもっていた以上なんだかまがまがしく、腹の底に響くドン、ドン、という音も、慣れるまではとてもおそろしかった。

そんな風におっかなびっくり花火を見上げながら、職場への不満、親族への屈託、推しの仕事を推せないはなしなどを、のべつまくなしにしゃべり立ててしまった。

(推しの仕事を推せないはなしについては、以下の記事をご参照あれ。) 

 

lvknty133.hatenablog.com

 

ひとしきり毒を吐き出してふと我に返ったわたしが、「重たいはなしばっかごめん、疲れたよね」と謝ると、ともだちはなんでもないことのように「大丈夫、疲れるほど真剣に聞いてないよ」と言った。その受け答えにわたしはほっとして、ともだちと顔を見合わせて笑った。まるっきり聞いていないわけではないけれど、わがことのようにストレスを感じるほど引き受けているわけでもない、というともだちのスタンスが、キャパオーバーすれすれまで鬱屈を抱えていたわたしにとっては非常にありがたかった。そして、そのことをことばにせずともお互いに了解して、笑い飛ばせる距離感の心地よさに、何より救われたのだった。

ひょろひょろと空に上がり、どかんどかんと弾ける花火の音にかき消されて、わたしたちはお互いの言ったことを半分くらいしか聞き取れていなかったかもしれない。けれどもたぶん、あのときともだちは、確かこんなようなことも口にしていた。「なめこちゃんには好きなものがあっていいね」と。

 

このともだちに限らず、わたしはこの手のことをよく言われてきた。物心ついたときから、気づけば「推し」のいる生活を送っていたので(当時そういうことばはまだなかったけれど)、「熱中できるものがあっていいね」「そんなに何かを好きになることができるなんてすごいね」と、ときには賞賛のニュアンスとともに、ときには侮蔑のニュアンスとともに、さまざまな場面で「推し」に対する感情の大きさを、重さを、深さを、ひとに評価されてきた(よくもわるくも、ということだけれど)。

正直に言えば、「確かに」とおもわないこともない。おそらくわたしが四半世紀ばかり生きてきたなかでもっとも長い年月をかけて推しているジャニーズ事務所、においてもとりわけ、ここ数年来もっぱらわたしの生活を支えてくれている中島健人さんに対しては、「好き」とか「愛」とかでは片付けられないような複雑で込み入った感情や欲望を抱いており、中島健人さんがいなければ、わたしはとうにつぶれていたとおもう。生きる理由も、生きる希望も、生きる目的も、すべてが中島健人さんなのだ。

中島健人さんのためにがんばる――と、いうよりも、中島健人さんに恥じないにんげんでありたい、という一心で、わたしは生きている。

花火大会をいっしょにみにいったともだちにも、はなしの行きがかり上熱弁をふるってしまったのだけれど、わたしにとって中島健人さんは「こうなりたかったじぶん」「こうありたかったじぶん」であり、ひとつの生命体として、理想的な、完璧なありようだとおもっている。容姿も、パフォーマンスも、内面も、ことばも。(ここでいう「完璧」というのは、非の打ち所がなく、欠点がひとつもないという意味ではなくて、欠点や弱点も含めてすべてがわたしにとって愛おしく慕わしい、という意味だ。)

けれども、わたしが中島健人になれないことはいまさらわかりきっているから、せめて、中島健人に恥じないにんげんでありたい。こんなことはぜったいにありえないけれど、いつかわたしが文芸誌でデビューしたら、たとえばダ・ヴィンチなんかで中島健人さんと対談して、「あなたがいたからここまで来られたんです」と感謝を伝えたい、そのためには中島健人さんと相対していられるぐらい、立派なじぶんでいたい。こんなことを考えている割に、認知されたい、接触したい、ファンサがほしいという類の欲望を持っているわけではないから、我ながらややこしいとはおもうのだけれど。

 

それが現実に生身のにくたいをもって実在している対象であるかいなかを問わず、なにかしらの「推し」とともに生きているひとなら、こういった感情や欲望や祈りや希望を、少なからず胸に秘めているのではないだろうか。もちろん、質的にはそれぞれ異なるものだろうけれど、「推し」に生かされている、生きるのを手伝ってもらっているというひとは、きっと少なくない。

でも、当たり前ながら、「推し」がいないひとだってたくさんいる。

わたしに「好きなものがあっていいね」と言ったともだちは、たぶんみんな「推し」がいなかった。趣味らしい趣味もない、とじぶんで言っているひともいた。「推しってなんなの? どうやって見つけるの?」と聞かれたこともあった。けれどもわたしには「推しは見つけるものではない、向こうから飛び込んでくるものだ。」と、「恋はするものじゃない、落ちるものだ」ばりのトンチキ回答をすることしかできず、ともだちを困惑させるばかりだった。と、おもう。

もし、中島健人さんと出会っていなかったら。あるいは、そのほか各界の「推し」と出会っていなかったら。そもそもわたしに誰かを「推す」という感覚がなかったら。そんな風に想像してみると、ちょっとぞっとする。もし「推し」がいなかったら、なんのために、なにを励みに、生きていけばいいのだろう。「推し」のいない人生なんて、中島健人さんのいない人生なんて、考えられない。

そうおもう一方で、わたしは「推し」のいない人生を「つまらない」と感じてしまっているんじゃないかと、じぶんに嫌気がさす。少なくともわたしにとってわたしの人生は、わたしの生活は、中島健人さんあってのものだけれど、「推し」がいない(あるいは「趣味」や「生きがい」のない)他人の人生をどこかで見下してしまっていたんじゃないか、と。

 

趣味を同じくするひとたちとのコミュニティにいると、わたしはときどき「推し」を推すことを強いられているような感覚に陥ってしまう。それはたとえば、「恋愛」にまつわるプレッシャーを感じることと似ている(まったく同じではないけれど)。恋をしなければならない、好きなひとがいないのはおかしい、人生のほんとうの楽しみを知らない――といった、「恋愛するのが当たり前」という価値観は、この社会のいたるところにまだまだはびこっていて、もちろんそれと「推し」を等価に考えることは適切ではないけれど、わたしはじぶんに「推し」がいることがしんどくなったりも、する。

何枚CDを買ったかとか。テレビ番組をみたかどうかとか。コンサートに何回通ったかとか。推しのどんなところがどれくらい好きかとか。

そういったもろもろのことは、わたしにとって「当たり前」ではない。とても消耗することだ。お金に余裕があるわけじゃないし、日本のテレビ番組はそもそも好きじゃない。たとえ推しが出ていたとしても、あきらかに地雷だとわかるようなバラエティ番組などは極力見ない、というか見られない。そして推しに対する感情を誰かと共有することも、どちらかというと得意ではない。TwitterをはじめとするSNS掲示板などで、誰もに伝わるような経済性の高いことばを使って、推しへの感情を書きあらわすことができない。わたしの感情は、わたしだけのものだからだ。

そして何より、じぶんの生活に究極的に余裕がなくなると、わたしは推しのとうとさを受けとめきれなくなる。推しの情報にふれると叫びだしそうになる。歌い踊っている推しをみるとテレビの液晶画面を割りそうになってしまう。じぶんの「解釈」と少しでもズレのある言動を推しがすると、「わたしの好きな推しはこんなひとじゃない!」と「推しについて推しと解釈違い」を起こし、情緒がとことん不安定になる。

 

きっと、「推し」がいる多くのひとたちに少なからず屈託はあるだろう。けれども、そういったコミュニティに入ろうとすると、わたしはじぶんがバラバラになりそうなぐらいしんどいおもいをする。

「推し」を推すことは当たり前じゃない。推しと出会えた運、推しを推すだけの健康、推しのコンテンツを買うための金銭、推しの情報にふれるための環境、推しを推すに足る時間など、さまざまな条件が重なってやっと「推し」を推せる。そんなことを考えているくせして、わたしは、「推し」のいないひとたちを、どこかで哀れんでしまっていたのではないだろうか。端的に言って最低だし、最悪だ。

そんなこんなで、わたしにはいわゆるおたくのともだちが少ない。というか、ほとんどいない。

「●●好きなやつ大体ともだち!」みたいな言い方があるけれど、わたしの場合は逆で、「ジャニーズ好きなやつ大体敵!」といっても言いぐらい、ちょっと前までは全力で警戒をしていた。ジャニーズはファンの規模がおおきい分、かえって自由な姿勢で「推し」を推していけるのだ、と肌で感じるようになったのはここ数年のことで、それまではジャニーズが好きなことを後ろめたくおもっていたし、恥ずかしくもおもっていた。今はこうしてTwitterやブログ、対面でも、ジャニーズを好きな理由、ジャニーズの好きなところを堂々とはなすことができるようになって、ほんとうに良かった、とおもうけれど。

「推し」がいることは当たり前じゃない――誰もが「恋」をするとは限らないように。

 

ところで、中島健人さんが所属するSexy Zoneというグループのある楽曲に、こんなフレーズがある。

「普通に就職して だれかと結婚して 普通に帰って 普通に眠る まぁいっか、またまぁいっか なんてねなんてね 言うね」

薔薇を背負ってデビューしたジャニーズ事務所きってのキラキラアイドルであるSexy Zoneが「普通」を歌っていることが、すごい。しかも、この歌の作詞にはメンバーの菊池風磨さんも参加している。

まず、彼らの思う「普通」に「だれかと結婚」することが入っている点に、わたしは複雑な感情を抱いた。自由に恋愛できない(とされている)アイドルである彼らが、「だれかと結婚」する「普通」を歌うこと。にもかかわらず、「だれかと結婚」することを「普通」であると彼らが思っているらしいこと。さらに、このパートを歌っているのがじぶんが「普通」であることに悩んでいた佐藤勝利さんであること。

この曲がリリースされたとき、上記の理由でわたしは煩悶した。いまでもそれが解決したわけではないし、「結婚」=「普通」というこの曲で提示された価値観も、いつか彼らのパフォーマンスのなかで更新されてほしいとおもっている。でも、ひいき目を承知で言えば、この曲がすばらしいのは、Sexy Zoneが「普通」を肯定しているからだ。

たとえばわたしには中島健人さんがいて、小説を、なにかしらの散文を書いていきたいというこころざしもある。こころざしなんていうと大袈裟だけれど、生きる糧となる仕事以外に、目標とするなにかしらがあるということだ。わたしにとってそれらは生きることとあまりにも結びついているから、中島健人さんのとうとさを受け止めきれないとき、文学に立ち向かうことができないとき、強烈な自己嫌悪に駆られてしまう。「無為に生きているなあ」とひたすら脱力してしまう。

でも、別にそういうものがなくったっていいのだとおもう。

 

恋愛に興味がなくても、推しがいなくても、これといった趣味がなくても、生きる、生活をするということは、それだけでとてつもないことなのだ。

恥ずかしながら、わたしなんかはまだ、いつかじぶんが何者かになれるのではないか、とおもっている節があるけれど、「推し」も「趣味」もないというわたしのともだちは、じぶんが何者にもなれないことを重々承知しているらしい。そのうえで、毎日正気をたもって職場におもむき、労働をし、じぶんを養っている。途方もないことだ。わたしは、彼女たちを尊敬している。

……一方で、自分勝手な屈託もある。きょうこの文章でふれたともだちのなかには、異性の恋人がいたり、結婚をしたりしているひとたちもいる。そのこと自体にすねているわけではないのだけれど(というのは虚勢でほんとうはがっつりふてくされているものの)、彼女たちとの話題はしぜんと結婚や恋愛、生活に関することがらが多くなってくる。

これはまちがいなく被害妄想だとおもう。でも、彼女たちの目に、わたしは「年甲斐もなく若いアイドルにうつつを抜かしたり、なんだかわけのわからない夢を追いかけて大学院なんかにいった残念なやつ」に映っているのではないか、と感じてしまうことがある。

残念でけっこう! わたしはわたしの好きなことをしつづけるし、わたしはわたしの好きなわたしでいつづけたい。でもやっぱりさみしいものはさみしいのだ。わたしはいつまでも中高生のときみたいに、マックで延々と学校の悪口を言ったり、お互いの家に遊びにいって3時間くらい黙々とスマブラで対戦したり、『東京タワー』の潤にキャーキャー言い合ったり、意味のわからない造語をつくって交換日記を書いたりしていたい。

 

「推し」がいようが、いなかろうが、「推し」が同じだろうが、違かろうが、ほんとうにすきなひとたちと、ほんとうにすきなことだけを、していけたらいいんだけれど。

推しは生きている

ときどき、推しが生きていることにびっくりする。というか、推しが生きていることに、推しと会うたびに驚いている。

え、待って。生きてる? 中島健人生きてる? ちょっとまじで言ってるそれ?

昨年のサマパラ(中島健人さんのソロコンサート)で数年ぶりの再会を果たしたときは特にこの症状がひどく、開演間際なんかほとんど吐きそうだった。もちろん実際には吐かなかったけれど、誤字しまくってくだらないツイートを何度も再投稿するぐらい、取り乱していた。

当時は「まあ久しぶりだからかな」ぐらいにしか思っていなかったものの、症状は回を追うごとに悪化していった。サマパラの次に中島健人さんのご尊顔を拝んだのは、11月に行われたザ・少年倶楽部の公開収録のことだった。NHKホールの前で会場を待ちながら、わたしは付き添ってくれた母の腕を掴んで震えていた。

待って待って待って、いる? いまこの中に中島健人いる? むりちょっとまじで意味がわかんない。

その日の収録では、サマパラで初めてお披露目された中島健人さんの最新ソロ曲「Mission」をみることができて、わたしは帰りの山手線に乗るまでずっと震えていたのだけれど、そんな調子だから今年のツアーは言わずもがな。

連休中(3~6日)は毎日横浜アリーナに通った。4日間で合計5公演入ることができたけれど、毎公演、開演が近づいてくると心身の調子が優れなくなってきた。とことんこじらせたおたくだから、気の置けないおたくのともだちがいない。弱音を吐けるのはTwitterしかない。一緒に入ってくれた知人に、「どうしようほんとむり中島健人生きてるむり」と、すがるわけにもいかない。

わたしはいまだに、「推しの実在」を受けとめきれていないのだ。

 

どうしてだろう、と考えてみれば、心当たりがないわけじゃない。日夜あまりにも推しのことを想いすぎているからとか。推しを理想化するあまり現実とのギャップを認めるのが怖いからとか。少なくとも、これまでの推しの場合はそうだった。実在している推しそのものではなく、じぶんの頭のなかで練り上げた「概念」としての推しを愛してしまい、生身の推しにふれてガッカリしてしまうことを恐れていた。そんな愛し方ばかりしていた時代が確かにあった。

中島健人さんの場合も、以前はそうだった。「今のあなたはわたしのすきな”ケンティー”じゃない」というような感情が募りに募って、彼の情報にふれることがつらい時期があった(具体的にいえば、某言いなりになんてならない映画の主演をしていた前後の時期なのだけれど、くわしい経緯はまたの機会に)。

でも今はそうじゃない。中島健人が生きている事実、中島健人が生身のにんげんである事実に直面して動揺してしまうのは、別のおおきな原因がある。

たぶん、わたしは中島健人のことをすきになりすぎてしまった。

 

この週末はSexy Zoneが助手として参加する「嵐のワクワク学校」に登校してきた。ワクワク学校にSexy Zoneが出るのは2年目のことだけれど、いま以上に生活に余裕のないセクシー大学院生だったわたしは登校を見送っていたから、嵐×Sexy Zoneのワクワク学校は初めてだった(嵐がまだ単独で行っていたころのワクワク学校には、何度か登校したことがあるけれど)。

ワクワク学校は東日本大震災の年に開校した。「コンサートのように電力をたくさん使わなくても、何かできることがあるのではないか」という嵐の想いから始まったイベントらしく、だから今でも、ワクワク学校では歌も踊りもない。すべての「授業」が終わったあとに「校歌」を歌う場面はあるけれど(それも直立不動で)、ほんとうにそれだけ。アイドルたちは、じぶんが担当するコマ以外は、椅子に座って「授業」を聞いている。

そんなわけで、わたしははなから油断していた。けれども事件は起きた。土曜日のことだった。

中島健人さんにお会いするのは55日ぶりだった。基本的にはグラウンドの中央に据えられたステージで「授業」がすすめられるので、わたしは油断していた。嵐やSexy Zoneの面々がステージを降り、いまいち趣旨のわからないリレーや、ドッヂボールのがちんこ対決に打ち興じても、外野席の前列に座っていたわたしは「あ~なんかやってるな~」ぐらいにのんきに構えていた。リレーもドッヂボールも、中島健人さんはつねにわたしの死角にいたから、ある程度おだやかな心持ちでディスプレイを見守っていた。

だから、「校歌斉唱」の時間が終わり(わたしは不真面目な生徒なのでほとんど歌わなかったものの)、それぞれのメンバーがトロッコに乗り始めたとき、わたしは「おや?」とおもった。わたしの死角に立っていたはずの中島健人さんがお乗りになったトロッコは、ホームベースのあたりをぐるりとまわって、やがてわたしのいるレフト側にゆっくりと近づいてきた。

え、ちょ、待て待て待て待て待て。やばいやばいやばいこのままだと中島健人こっちに来るんだけど。

ロッコは進路を変えず、中島健人はこっちに来た。

切ったばかりの前髪が可憐に揺れている。スタンド席、バルコニー席、そして2階席にていねいに視線をすべらせながら、ひとりひとりのファンに向けて手を振る仕草は蝶のようにかろやかで、蜜のように甘い笑顔とあいまって、背後には東京ドーム一面のお花畑が広がっていた(わたしの目にはそう見えた)。

使うことはないだろうなとおもいつつ、念のためメゾンドフルールのトートバッグに忍ばせていたうちわで顔の半分くらいを隠しながら、わたしはかたまっていた。うちわの柄をもつ手が汗ばんでいる。からだが痺れて感覚がなくなっていたけれど、視界のすみでじぶんの右手がぎこちなく揺れていたから、なんとか手を振り返そうとしていことは確かだ。目が合ったかどうかはわからない。推しがわたしを見たかどうかもわからない。いや、でもそんなことはどうでもいいのだ。どうでもよくはないけれど、いいのだ。

中島健人、近くにきた。中島健人、生きてた。

 

中島健人さんが生きているなんて、もちろんずっとわかっていた。

「授業」中、こまめに台本を開きながら進行を確認していたご様子だったのに、じぶんの出番でミスをしてしまったお姿を目の当たりにして、「あっ生きてる」っておもった。中島健人でもまちがえるんだ。ミスを指摘されて照れ笑いをしている表情はとてつもなくキュートで、たいへん愛らしかったのだけれど、それはなんだか、アイドルとしての「ケンティー」とひとりのにんげんとしての「中島健人」のあわいを垣間見てしまったかんじで、心臓を鷲づかみにされたみたいに胸がくるしくなった。

また、VRを利用して観客にかき氷を「あーん」して食べさせてあげるという見せ場では、「ケンティー」節を発揮しつつ、菊池風磨くんの絶妙な合いの手に「中島健人」として素の笑みをこぼしてしまうという一幕もあり、わたしは泣きそうだった。というか泣いていた。中島健人の実在はもちろん、「ふまけん」の実在を、つまり中島健人菊池風磨の関係が現に続いているもの、続いてゆくものであることを、あらためて痛切に感じたからだ。

かき氷のくだりが終わったあと、中島健人さんはじぶんの席に戻りがてら、菊池風磨さんに歩み寄ってなにか耳打ちをしていた。笑いながらなにかささやきかけていた。

そして、たのしげな表情を浮かべてじぶんの席に戻った中島健人さんと、菊池風磨さんの座っているすがたを見て、なんだか感動してしまった。わたしは座席の位置的に彼らを横から見ていたのだけれど、ふたりのからだは、ぜんぜん厚みがちがった。華奢ですっきりと椅子におさまっている中島健人さんに対し、菊池風磨さんはどちらかというと窮屈そうに座っていて、がっちりとした上半身を持て余しているように見えた。

あっ、生きてる……。このふたり生きてる……。別々の肉体と別々の意思をもったふたりのにんげんがジャニーズ事務所で出会い、いろいろな、ほんとうにいろいろなことがあって、たくさん壁を乗り越えて、いま、東京ドームのステージに並んで座ってる……。

 

目の前をゆっくりと通りすぎていった中島健人さんを見送りながら、わたしがおもいだしていたのは、先の「ふまけん」のくだりだった。

それをおもいだしながら、わたしは「もっと、もっと」とおもっていた。もっと近くにいきたい。けれども中島健人さんに「ファンサ」をしてほしいとか、認知されたいとか、そういう欲望を持っているわけじゃない。「わたし」のままで中島健人さんに近づきたいんじゃない。そう、いうなれば彼の「シンメ」として、近づきたい。でもそんなことは無理だ。だとしても近くにいきたい。もっと近くに。

中島健人さんが生きていて、アイドルをしてくれていて。「ケンティー」としてわたし(たち)の前に立ってくれること、それだけで充分だったはずなのに、いつしかわたしは「推しのシンメになりたい」という欲望まで抱くようになっていた(と同時に、シンメではなく「推しそのものになりたい」という欲望も持っているのだけれど、そのはなしは今回は割愛)。

中島健人さんが生きていること、中島健人さんの実在を受けとめきれていないのは、わたしが中島健人さんをすきになりすぎて、彼と関係したくなってしまったからだ。もちろん実際に関係を持てるわけじゃないし、持ちたいわけでもない。「わたし」としては、万が一できると言われたってそんなこと無理だ、全身全霊で逃げ出すとおもう。わたしは彼の「シンメ」として、彼のとなりに立ってみたかった。彼に背中を預けられてみたかった。

それができないとわかっているからこそ、わたしが「わたし」として中島健人さんと関係せざるを得ない現実がしんどくて、中島健人さんの実在そのものすら、どうやって受けとめたらいいのかわからなくなってくる。

予期せぬ近距離に中島健人さんがいらしたことにより、わたしは混乱した。もちろん、まず何よりも感動があった。Sexy冠で放映されたバレエの特訓の成果でもあろう姿勢のきれいさ、所作のうつくしさ。そして顔。とにかく顔がいい。わたしはありとあらゆるにんげんの顔のなかで、中島健人の顔がいっとうすきだ。顔だけじゃない。からだも声も、すべての生き物のなかでもっとも理想的な形態をしているとおもっている(これは美醜の問題というよりは、わたしの愛情や思い入れのもんだいだ)。

感動の次に、戸惑いがあった。ひょっとしたらいま、中島健人さんの視界に入っているわたしは、なんなんだろう。わたしのいまのすがたは適切なすがたじゃない。おんなで、異性愛者じゃなくて、事務所の方針に賛同できなくて、24時間テレビも応援できない、そういうわたしが、中島健人さんの視界に入るのはふさわしくない……。

わたしは、あなたの「シンメ」になりたかった。「シンメ」として、あなたと関係したかった。いま、げんに生きている、生身のからだをもったあなたと。ときには間違え、ときには失敗もする、等身大のあなたと関係してみたかった。

 

「わたし」として26年ばかりも生きてしまったわたしが、いまさら推しの「シンメ」になれるはずもなく、わたしの欲望はどうころんだって叶いようがない(叶わないとわかっているからこそ、安心して欲望していられる)。また、ひとりのファンとして中島健人と関係を持っていられることに感謝もしている。たぶんそれ以外のなんらかの関係を持つことはできない相手だからこそ、「アイドルとファン」という関係だからこそ、わたしは中島健人のことをこんなにすきになった。

しかし、それでもなお、わたしは「推しのシンメになりたい」という欲望を捨てられない、あきらめきれない。

日曜日の公演、先にふれたVRかき氷の場面で、ケンティーは4万5千人の前でキス顔を披露した。それもぜいたくなリップ音つきだった。わたしはそれをファンとして楽しんだ。恋愛感情ではないけれど、「ケンティーというアイドルのパフォーマンス」としては満点以上のものだとおもったし、そういうパフォーマンスを生で味わえたことにとても興奮した。

けれどもわたしが推しのシンメだったら、そのパフォーマンスにこんな反応をしたかった、だとか。映画の撮影や冠番組で限界だったはずの推しに、こんな風に声をかけたかった、だとか。詮無いことばかり考えてしまうけれど。

推しはきょうも生きていて、しゃかりきにアイドルをしている。わたしもしゃかりきに「わたし」を生きなければ、とおもうのだった。仕事も、創作も。

「レズなのにジャニーズが好きなの?」

高校生のころ、学校にすきなおんなのこがいた。わたしたちはお互いのことを名字で呼び合っていたので、ここでは仮にスズキとしておこう。

スズキとは一度も同じクラスになったことがなかった。話すようになったきっかけもろくに覚えていない。たぶん、当時仲が良かったともだちの仲が良かったともだちの仲が良かったともだち、くらいのぼんやりしたつながりで、気が付いたら顔見知りになっていたんだとおもう。スズキは人懐っこく、笑顔がとびきり明るくて、屈託のない性格をしていた。

いや、ほんとうにそうだったのかは自信がない。なにしろわたしはスズキのことをほとんど知らなかったから。

スズキとは、当時使っていたことばでいうと「体の関係」だった。廊下ですれ違いざまに「今日もでかいな!」と胸を揉まれたり、「いいにおいがする」と抱き締められたり、意味もなく腕を組んで歩いたりした。

それでいて、ふたりで遊びにいったり、夜中に長電話をしたりするような付き合いはまるでない。いまおもいかえしても不思議だけれど、スズキとはそういう距離感でいるのが心地良かった。クラスが違うし、わざわざ会いに行くこともしなかったから、毎日話せるとは限らない。スズキに会えることを期待していたわけでもない。けれども、廊下で顔をみかけたらうれしかった。体育はしぬほどきらいだったけれど、スズキのクラスと合同で授業をする日だけは、とてもたのしかった。

いまでも、忘れられないできごとがある。

スズキを含め、当時仲の良かったともだち数人と築地に出かけた。確かクリスマス間近の時期だったとおもう。市場で海鮮丼を食した帰り、銀座に寄ってカラオケをしたのだけれど、その移動時間だったか。

わたしたちは駅かどこかのエスカレーターに並んで乗っていた。わたしが一番うしろで、その前がスズキだ。

前後の文脈はなにひとつおもいだせない。ただ鮮明に覚えているのは、不意にスズキが振り返って、わたしの頬にキスをしたこと。

当時のわたしたちは確かに「体の関係」を結んでいたけれど、そうはいっても、さすがにキスをしたことはなかった。だからたとえ頬にであっても、わたしは驚いた。そしてどきどきが止まらなかった。いくらともだちとの距離感が近いスズキでも、誰彼構わず頬にキスをすることはないんじゃないか。ひょっとするとわたしは、スズキにとって特別な相手なんじゃないか。

そのできごと以来、わたしは悶々といろいろなことを考えた。けれども結局、スズキ本人には何も言うことができず、わたしたちの関係は卒業まで何も変わらなかった。ときどき廊下でばったり顔をあわせては、くだらないことで笑い、ちょっと行き過ぎたスキンシップをして、またねと別れる。だから当然、卒業したらつながりは呆気なく切れた。スズキが今どこで何をしているのか、わたしは何も知らない。

当時のわたしは、mixiで知り合ったおたくともだちと「好きな男ができない」と嘆きあったり、なりきりチャット(通称なりチャ)で知り合った年上の女性に恋をして、バイト代を貯めて福岡に飛んだりしていた。初恋は幼稚園のときで、相手は同じ組にいた色白で華奢な男の子だったけれど、初めて交際した相手は女性で(福岡のひととは別人)、リズリサのお洋服と「おおきく振りかぶって」の阿部隆也がすきなひとだった。

要するに、いわば「異性との経験はないけれど、同性との経験はある」状態だったのだ。

 

わたしはこれまで自分が「同性を好きであること」で悩んだことはなかった。けれども、「異性を好きになれないこと」「異性との経験がないこと」では、ものすごく悩んできた。悩んできたというより、苦しんできた。

当時足繁く通っていた2ちゃんねるの「喪女板」のとあるスレッドでは、「男にモテないから女に走る喪女」の存在が取沙汰されており、わたしは泣きながらそのスレッドを読んだ。しんどくてたまらないのに、ひとつひとつの書き込みを細かい言い回しまで覚えてしまうくらいに読み込んだ。

また、「このひとと一緒にしにたい」とまでおもいつめていた恋の相手には、「きみの恋愛感情は気の迷いだとおもう。男と付き合ってみたらわかるよ」というようなことを頻繁に言われた。当時すきだったその女性は、同性とも異性とも交際したことがあるというひとだったから、経験者にそんな言い方をされてしまっては何も言い返せない。まだ二十歳にもなっていなかった当時のわたしは、ただただ悔しくて彼女のジュースを黙って勝手に飲み干したりしていた。

男を好きになって、男と付き合わなければ。はやくこの「処女」という重い枷を外してしまいたい。

ある時期までのわたしは、そんな強迫観念にとらわれていた。いま思えば、異性との経験がなければ女性として「欠陥品」であるというような文化そのものがおかしいのだし、同性との恋愛をまっとうな経験としてカウントしない空気もホモフォビックで許しがたいものだ。もちろん、そもそも恋愛をしなければ「一人前のにんげん」として認められない雰囲気それ自体が間違ってはいるのだけれど。

結果的に、わたしは異性と交際することになった。すてきな思い出も、おぞましい出来事も、たくさんあった。交際していたときは、ほんとうに相手のことをすきですきでしょうがなかった。しかし、あるときわたしはつらくなってしまったのだった。じぶんが「女」としてしか、みられていないことが。

わたしは交際相手の性欲を徐々に疎ましく、そして恐ろしく感じるようになった。会えば必ずセックスをしなければならないことが、はっきりと負担になってきた。わたしがなりたかったのは、「彼女」でも、ましてや「妻」なんかでもなく、「ライバル」「親友」「戦友」「シンメ」……そういったことばで名指される何かだった。ながいながい時間をかけてようやく、じぶんの気持ちをことばにすることができるようになった。

それからほんとうにいろいろなことがあって、相手とは別れた。もちろん、わたしの理想とするような関係性を築いている異性のカップルは世界のどこかにいるかもしれないし、異性と対等な関係をむすぶのは土台無理なはなしだと考えているわけでもない。ただ、わたしたちにそれはできなかったし、なおかつ、わたしはじぶんが「パートナー」として異性を選びたいわけではないのだ、ということに気づきつつあった。

 

男を好きにならなければならない。セクシュアリティを学ぶ、学ぼうとしている身なのだから、彼らがヘテロセクシュアルというだけで、その欲望を否定してはいけない。長らくじぶん自身を苦しめてきた抑圧から、さいきんやっと、自由になれた感覚がある。ひとをセクシュアリティによって裁くことがあってはならないけれど、じぶんにしんどい思いをさせるものを、無理に好きになろうとする必要はないだろう。

「男と付き合ってきたわたしなんかがレズビアンと名乗ることはできない」というような後ろめたさも感じてきたけれど、セクシュアリティは流動的なものだ。ひとは生まれてから死ぬまで同じセクシュアリティであるとは限らないのだから、わたしがじぶんを「レズビアン」だとおもうなら、わたしは「レズビアン」だろう。やっと、ほんとうにやっと、そんな風に考えることができるようになってきた。

けれど、新たな屈託も生まれる。

「レズなのにジャニーズが好きなの?」と、ひとから聞かれたことがある(ちなみにわたしは「レズ」とひとに呼びかけるひとのことがあまり好きではない)。別のひとから、「ジャニーズが好きならおとこが好きなんじゃないの?」ということばを投げかけられたこともある。

確かに、恋愛や性愛の対象が女性であるなら、女性のアイドルをすきでいた方がはるかに「わかりやすい」かもしれない。でも、ひとの欲望がつねに「わかりやすい」ものであるとは限らないだろう。そんなのは当たり前のことじゃないか。仮にレズビアンで女性のアイドルを推しているひとたちがいたとしても、その欲望は個々に違って複雑な、ややこしいものである可能性もある。

わたしは、アイドルに足していわゆる「ガチ恋」「リア恋」と呼ばれるような感情を抱くことをぜったいに否定したくないとおもう(その点、わたしの希望である中島健人さんはすばらしい考えをお持ちなのだが、詳しくは長くなるのでまたの機会に譲りたい)し、じぶん自身その手の感情を推しに抱いたことはある。わたしの場合は「恋人になりたい」じゃなく、「告白してフラれたい」とか「推しがさみしいとき二番目くらいに呼び出される気軽で、でもちょっとウェットな関係になりたい」とか、そういう類のものにはなってくるけれど。

要は何が言いたいかというと、推しへ抱く感情はほんとうに多様で、それが常に「恋愛感情」であるとは限らない、ということ。

 

以前参加していた同人誌でも書いたことがあるのだけれど、わたしはいまの推しと「一緒に仕事がしたい」とおもっている。推しのとなりに立ちたい。推しがしんどいときには推しの分までわたしが踊るし、わたしがしんどくなったら、推しにはわたしを信じて歌ってほしい。向かい合わせで手を差し伸べる関係じゃなく、お互いを信頼して、背中を預けられる関係になりたい。

一介の凡人が何を言っているんだとおもわれるかもしれない。むしろじぶんでもそうおもう。けれども、これはわたしにとって真実な感情だ。推しと仕事がしたい、推しのシンメになりたい、もはや推し自身になりたい。

そういう風に推しをみているとき、わたしはじぶんが「女」であることを忘れている。わたしはジャニーズ――というより中島健人が好きなので、いまは中島健人のはなししかできれないけれど、これはひょっとしたら他のアイドルや、タレントにも当てはまるだろうか。

ケンティー――アイドルとしての中島健人――は、ファンであるわたしにありったけの愛のことばを、ありったけの感情をささげてくれる。ケンティーがあまりにもおおっぴらに、あまりにもあけすけに愛を語ってくれるものだから、その愛に、その感情に、わたしも安心して溺れることができる。しかしケンティーは、わたしに何の見返りも求めない。「女」であることも、「女らしく」あることも、もっと言ってしまえば「男を好きである」ことも。

だからわたしはケンティーが好きだ。彼のことは、臆せず好きだと言える。このうえなくスウィートな顔立ちも、セクシーな体つきも(最近ますますお痩せになって心配は尽きないが)、パフォーマンスにこだわりすぎる危うい情熱も、隙のないお歌もダンスも、何もかもが好きなんである。わたしが「女」だからじゃない。むしろそれは、ケンティーがわたしに「女であれ」と強要しないからだ。「女」としての感情的、あるいは肉体的な奉仕を一切求めずに、ただただ好きでいることを許してくれるから。

わたしはしばしばケンティーになりたいとおもう。いや、しばしばというのはうそだ。毎日毎時間毎分毎秒、おもっている。ケンティーのシンメになりたいともおもう。同性の「パートナー」として、背中を預けられる存在になりたい。しかしだからといって、わたしは「男」になりたいわけじゃない。あくまでも、同性として、推しの隣に立ちたかったと願うだけだ。

ケンティーだけじゃない。好ましいと感じる異性の友人がいると、「わたしが男だったらよかったのに」とおもうことがある。「わたしが男だったら、屈託なくこのひとを抱きしめることができたかもしれないのにな」と。けれどもわたしが男だったら、そういった友人たちと親しくなることはなかったかもしれないし、彼らは男のわたしに抱きしめられることを望まないかもしれない。

わたしはとにかく、同性同士の親密なつながりにこだわりがあるタイプのにんげんなのだ。「にんげんとにんげんの親密さに、性別もくそもあるか」と、おもうひとがいるのはわかる。わたしは強固な「ヘテロフォビア」を抱えているんだろうし、すべてのにんげんを「男」か「女」に割り振る暴力には抗うつもりでいて、性別二元論の重力から逃げ切ることはできていない。

でも、とおもう。これは単なるルサンチマンかもしれないけれど、「一対一の男女で番うことが当たり前」という異性愛の覇権がまったく揺るがされていないこの状況で、「みんな違ってみんないい」とか「愛は愛じゃん、性別なんて関係ない」とか言ったって、単に現状を肯定することにしかつながらないんじゃないの、と。

 

わたしはたくさん間違っているとおもう。たくさん誰かを傷つけてもいるとおもう。決して居直ってはいけないとおもう。けれども、わたしのこだわりを、わたしの欲望を、これ以上わたし自身が殺さないように、書き残しておこうとおもう。