推しのいない人生

しばしばともだちから「なめこちゃんは好きなものがあっていいね」というようなことを、言われたりする。

きのうは都内でもっともはやい時期に開催されることで有名らしい某所の花火大会に、ともだちと出かけてきた。ともだちに着付けてもらった浴衣を着て、有料の特等席で間近から見上げる花火は、おもっていた以上なんだかまがまがしく、腹の底に響くドン、ドン、という音も、慣れるまではとてもおそろしかった。

そんな風におっかなびっくり花火を見上げながら、職場への不満、親族への屈託、推しの仕事を推せないはなしなどを、のべつまくなしにしゃべり立ててしまった。

(推しの仕事を推せないはなしについては、以下の記事をご参照あれ。) 

 

lvknty133.hatenablog.com

 

ひとしきり毒を吐き出してふと我に返ったわたしが、「重たいはなしばっかごめん、疲れたよね」と謝ると、ともだちはなんでもないことのように「大丈夫、疲れるほど真剣に聞いてないよ」と言った。その受け答えにわたしはほっとして、ともだちと顔を見合わせて笑った。まるっきり聞いていないわけではないけれど、わがことのようにストレスを感じるほど引き受けているわけでもない、というともだちのスタンスが、キャパオーバーすれすれまで鬱屈を抱えていたわたしにとっては非常にありがたかった。そして、そのことをことばにせずともお互いに了解して、笑い飛ばせる距離感の心地よさに、何より救われたのだった。

ひょろひょろと空に上がり、どかんどかんと弾ける花火の音にかき消されて、わたしたちはお互いの言ったことを半分くらいしか聞き取れていなかったかもしれない。けれどもたぶん、あのときともだちは、確かこんなようなことも口にしていた。「なめこちゃんには好きなものがあっていいね」と。

 

このともだちに限らず、わたしはこの手のことをよく言われてきた。物心ついたときから、気づけば「推し」のいる生活を送っていたので(当時そういうことばはまだなかったけれど)、「熱中できるものがあっていいね」「そんなに何かを好きになることができるなんてすごいね」と、ときには賞賛のニュアンスとともに、ときには侮蔑のニュアンスとともに、さまざまな場面で「推し」に対する感情の大きさを、重さを、深さを、ひとに評価されてきた(よくもわるくも、ということだけれど)。

正直に言えば、「確かに」とおもわないこともない。おそらくわたしが四半世紀ばかり生きてきたなかでもっとも長い年月をかけて推しているジャニーズ事務所、においてもとりわけ、ここ数年来もっぱらわたしの生活を支えてくれている中島健人さんに対しては、「好き」とか「愛」とかでは片付けられないような複雑で込み入った感情や欲望を抱いており、中島健人さんがいなければ、わたしはとうにつぶれていたとおもう。生きる理由も、生きる希望も、生きる目的も、すべてが中島健人さんなのだ。

中島健人さんのためにがんばる――と、いうよりも、中島健人さんに恥じないにんげんでありたい、という一心で、わたしは生きている。

花火大会をいっしょにみにいったともだちにも、はなしの行きがかり上熱弁をふるってしまったのだけれど、わたしにとって中島健人さんは「こうなりたかったじぶん」「こうありたかったじぶん」であり、ひとつの生命体として、理想的な、完璧なありようだとおもっている。容姿も、パフォーマンスも、内面も、ことばも。(ここでいう「完璧」というのは、非の打ち所がなく、欠点がひとつもないという意味ではなくて、欠点や弱点も含めてすべてがわたしにとって愛おしく慕わしい、という意味だ。)

けれども、わたしが中島健人になれないことはいまさらわかりきっているから、せめて、中島健人に恥じないにんげんでありたい。こんなことはぜったいにありえないけれど、いつかわたしが文芸誌でデビューしたら、たとえばダ・ヴィンチなんかで中島健人さんと対談して、「あなたがいたからここまで来られたんです」と感謝を伝えたい、そのためには中島健人さんと相対していられるぐらい、立派なじぶんでいたい。こんなことを考えている割に、認知されたい、接触したい、ファンサがほしいという類の欲望を持っているわけではないから、我ながらややこしいとはおもうのだけれど。

 

それが現実に生身のにくたいをもって実在している対象であるかいなかを問わず、なにかしらの「推し」とともに生きているひとなら、こういった感情や欲望や祈りや希望を、少なからず胸に秘めているのではないだろうか。もちろん、質的にはそれぞれ異なるものだろうけれど、「推し」に生かされている、生きるのを手伝ってもらっているというひとは、きっと少なくない。

でも、当たり前ながら、「推し」がいないひとだってたくさんいる。

わたしに「好きなものがあっていいね」と言ったともだちは、たぶんみんな「推し」がいなかった。趣味らしい趣味もない、とじぶんで言っているひともいた。「推しってなんなの? どうやって見つけるの?」と聞かれたこともあった。けれどもわたしには「推しは見つけるものではない、向こうから飛び込んでくるものだ。」と、「恋はするものじゃない、落ちるものだ」ばりのトンチキ回答をすることしかできず、ともだちを困惑させるばかりだった。と、おもう。

もし、中島健人さんと出会っていなかったら。あるいは、そのほか各界の「推し」と出会っていなかったら。そもそもわたしに誰かを「推す」という感覚がなかったら。そんな風に想像してみると、ちょっとぞっとする。もし「推し」がいなかったら、なんのために、なにを励みに、生きていけばいいのだろう。「推し」のいない人生なんて、中島健人さんのいない人生なんて、考えられない。

そうおもう一方で、わたしは「推し」のいない人生を「つまらない」と感じてしまっているんじゃないかと、じぶんに嫌気がさす。少なくともわたしにとってわたしの人生は、わたしの生活は、中島健人さんあってのものだけれど、「推し」がいない(あるいは「趣味」や「生きがい」のない)他人の人生をどこかで見下してしまっていたんじゃないか、と。

 

趣味を同じくするひとたちとのコミュニティにいると、わたしはときどき「推し」を推すことを強いられているような感覚に陥ってしまう。それはたとえば、「恋愛」にまつわるプレッシャーを感じることと似ている(まったく同じではないけれど)。恋をしなければならない、好きなひとがいないのはおかしい、人生のほんとうの楽しみを知らない――といった、「恋愛するのが当たり前」という価値観は、この社会のいたるところにまだまだはびこっていて、もちろんそれと「推し」を等価に考えることは適切ではないけれど、わたしはじぶんに「推し」がいることがしんどくなったりも、する。

何枚CDを買ったかとか。テレビ番組をみたかどうかとか。コンサートに何回通ったかとか。推しのどんなところがどれくらい好きかとか。

そういったもろもろのことは、わたしにとって「当たり前」ではない。とても消耗することだ。お金に余裕があるわけじゃないし、日本のテレビ番組はそもそも好きじゃない。たとえ推しが出ていたとしても、あきらかに地雷だとわかるようなバラエティ番組などは極力見ない、というか見られない。そして推しに対する感情を誰かと共有することも、どちらかというと得意ではない。TwitterをはじめとするSNS掲示板などで、誰もに伝わるような経済性の高いことばを使って、推しへの感情を書きあらわすことができない。わたしの感情は、わたしだけのものだからだ。

そして何より、じぶんの生活に究極的に余裕がなくなると、わたしは推しのとうとさを受けとめきれなくなる。推しの情報にふれると叫びだしそうになる。歌い踊っている推しをみるとテレビの液晶画面を割りそうになってしまう。じぶんの「解釈」と少しでもズレのある言動を推しがすると、「わたしの好きな推しはこんなひとじゃない!」と「推しについて推しと解釈違い」を起こし、情緒がとことん不安定になる。

 

きっと、「推し」がいる多くのひとたちに少なからず屈託はあるだろう。けれども、そういったコミュニティに入ろうとすると、わたしはじぶんがバラバラになりそうなぐらいしんどいおもいをする。

「推し」を推すことは当たり前じゃない。推しと出会えた運、推しを推すだけの健康、推しのコンテンツを買うための金銭、推しの情報にふれるための環境、推しを推すに足る時間など、さまざまな条件が重なってやっと「推し」を推せる。そんなことを考えているくせして、わたしは、「推し」のいないひとたちを、どこかで哀れんでしまっていたのではないだろうか。端的に言って最低だし、最悪だ。

そんなこんなで、わたしにはいわゆるおたくのともだちが少ない。というか、ほとんどいない。

「●●好きなやつ大体ともだち!」みたいな言い方があるけれど、わたしの場合は逆で、「ジャニーズ好きなやつ大体敵!」といっても言いぐらい、ちょっと前までは全力で警戒をしていた。ジャニーズはファンの規模がおおきい分、かえって自由な姿勢で「推し」を推していけるのだ、と肌で感じるようになったのはここ数年のことで、それまではジャニーズが好きなことを後ろめたくおもっていたし、恥ずかしくもおもっていた。今はこうしてTwitterやブログ、対面でも、ジャニーズを好きな理由、ジャニーズの好きなところを堂々とはなすことができるようになって、ほんとうに良かった、とおもうけれど。

「推し」がいることは当たり前じゃない――誰もが「恋」をするとは限らないように。

 

ところで、中島健人さんが所属するSexy Zoneというグループのある楽曲に、こんなフレーズがある。

「普通に就職して だれかと結婚して 普通に帰って 普通に眠る まぁいっか、またまぁいっか なんてねなんてね 言うね」

薔薇を背負ってデビューしたジャニーズ事務所きってのキラキラアイドルであるSexy Zoneが「普通」を歌っていることが、すごい。しかも、この歌の作詞にはメンバーの菊池風磨さんも参加している。

まず、彼らの思う「普通」に「だれかと結婚」することが入っている点に、わたしは複雑な感情を抱いた。自由に恋愛できない(とされている)アイドルである彼らが、「だれかと結婚」する「普通」を歌うこと。にもかかわらず、「だれかと結婚」することを「普通」であると彼らが思っているらしいこと。さらに、このパートを歌っているのがじぶんが「普通」であることに悩んでいた佐藤勝利さんであること。

この曲がリリースされたとき、上記の理由でわたしは煩悶した。いまでもそれが解決したわけではないし、「結婚」=「普通」というこの曲で提示された価値観も、いつか彼らのパフォーマンスのなかで更新されてほしいとおもっている。でも、ひいき目を承知で言えば、この曲がすばらしいのは、Sexy Zoneが「普通」を肯定しているからだ。

たとえばわたしには中島健人さんがいて、小説を、なにかしらの散文を書いていきたいというこころざしもある。こころざしなんていうと大袈裟だけれど、生きる糧となる仕事以外に、目標とするなにかしらがあるということだ。わたしにとってそれらは生きることとあまりにも結びついているから、中島健人さんのとうとさを受け止めきれないとき、文学に立ち向かうことができないとき、強烈な自己嫌悪に駆られてしまう。「無為に生きているなあ」とひたすら脱力してしまう。

でも、別にそういうものがなくったっていいのだとおもう。

 

恋愛に興味がなくても、推しがいなくても、これといった趣味がなくても、生きる、生活をするということは、それだけでとてつもないことなのだ。

恥ずかしながら、わたしなんかはまだ、いつかじぶんが何者かになれるのではないか、とおもっている節があるけれど、「推し」も「趣味」もないというわたしのともだちは、じぶんが何者にもなれないことを重々承知しているらしい。そのうえで、毎日正気をたもって職場におもむき、労働をし、じぶんを養っている。途方もないことだ。わたしは、彼女たちを尊敬している。

……一方で、自分勝手な屈託もある。きょうこの文章でふれたともだちのなかには、異性の恋人がいたり、結婚をしたりしているひとたちもいる。そのこと自体にすねているわけではないのだけれど(というのは虚勢でほんとうはがっつりふてくされているものの)、彼女たちとの話題はしぜんと結婚や恋愛、生活に関することがらが多くなってくる。

これはまちがいなく被害妄想だとおもう。でも、彼女たちの目に、わたしは「年甲斐もなく若いアイドルにうつつを抜かしたり、なんだかわけのわからない夢を追いかけて大学院なんかにいった残念なやつ」に映っているのではないか、と感じてしまうことがある。

残念でけっこう! わたしはわたしの好きなことをしつづけるし、わたしはわたしの好きなわたしでいつづけたい。でもやっぱりさみしいものはさみしいのだ。わたしはいつまでも中高生のときみたいに、マックで延々と学校の悪口を言ったり、お互いの家に遊びにいって3時間くらい黙々とスマブラで対戦したり、『東京タワー』の潤にキャーキャー言い合ったり、意味のわからない造語をつくって交換日記を書いたりしていたい。

 

「推し」がいようが、いなかろうが、「推し」が同じだろうが、違かろうが、ほんとうにすきなひとたちと、ほんとうにすきなことだけを、していけたらいいんだけれど。

推しは生きている

ときどき、推しが生きていることにびっくりする。というか、推しが生きていることに、推しと会うたびに驚いている。

え、待って。生きてる? 中島健人生きてる? ちょっとまじで言ってるそれ?

昨年のサマパラ(中島健人さんのソロコンサート)で数年ぶりの再会を果たしたときは特にこの症状がひどく、開演間際なんかほとんど吐きそうだった。もちろん実際には吐かなかったけれど、誤字しまくってくだらないツイートを何度も再投稿するぐらい、取り乱していた。

当時は「まあ久しぶりだからかな」ぐらいにしか思っていなかったものの、症状は回を追うごとに悪化していった。サマパラの次に中島健人さんのご尊顔を拝んだのは、11月に行われたザ・少年倶楽部の公開収録のことだった。NHKホールの前で会場を待ちながら、わたしは付き添ってくれた母の腕を掴んで震えていた。

待って待って待って、いる? いまこの中に中島健人いる? むりちょっとまじで意味がわかんない。

その日の収録では、サマパラで初めてお披露目された中島健人さんの最新ソロ曲「Mission」をみることができて、わたしは帰りの山手線に乗るまでずっと震えていたのだけれど、そんな調子だから今年のツアーは言わずもがな。

連休中(3~6日)は毎日横浜アリーナに通った。4日間で合計5公演入ることができたけれど、毎公演、開演が近づいてくると心身の調子が優れなくなってきた。とことんこじらせたおたくだから、気の置けないおたくのともだちがいない。弱音を吐けるのはTwitterしかない。一緒に入ってくれた知人に、「どうしようほんとむり中島健人生きてるむり」と、すがるわけにもいかない。

わたしはいまだに、「推しの実在」を受けとめきれていないのだ。

 

どうしてだろう、と考えてみれば、心当たりがないわけじゃない。日夜あまりにも推しのことを想いすぎているからとか。推しを理想化するあまり現実とのギャップを認めるのが怖いからとか。少なくとも、これまでの推しの場合はそうだった。実在している推しそのものではなく、じぶんの頭のなかで練り上げた「概念」としての推しを愛してしまい、生身の推しにふれてガッカリしてしまうことを恐れていた。そんな愛し方ばかりしていた時代が確かにあった。

中島健人さんの場合も、以前はそうだった。「今のあなたはわたしのすきな”ケンティー”じゃない」というような感情が募りに募って、彼の情報にふれることがつらい時期があった(具体的にいえば、某言いなりになんてならない映画の主演をしていた前後の時期なのだけれど、くわしい経緯はまたの機会に)。

でも今はそうじゃない。中島健人が生きている事実、中島健人が生身のにんげんである事実に直面して動揺してしまうのは、別のおおきな原因がある。

たぶん、わたしは中島健人のことをすきになりすぎてしまった。

 

この週末はSexy Zoneが助手として参加する「嵐のワクワク学校」に登校してきた。ワクワク学校にSexy Zoneが出るのは2年目のことだけれど、いま以上に生活に余裕のないセクシー大学院生だったわたしは登校を見送っていたから、嵐×Sexy Zoneのワクワク学校は初めてだった(嵐がまだ単独で行っていたころのワクワク学校には、何度か登校したことがあるけれど)。

ワクワク学校は東日本大震災の年に開校した。「コンサートのように電力をたくさん使わなくても、何かできることがあるのではないか」という嵐の想いから始まったイベントらしく、だから今でも、ワクワク学校では歌も踊りもない。すべての「授業」が終わったあとに「校歌」を歌う場面はあるけれど(それも直立不動で)、ほんとうにそれだけ。アイドルたちは、じぶんが担当するコマ以外は、椅子に座って「授業」を聞いている。

そんなわけで、わたしははなから油断していた。けれども事件は起きた。土曜日のことだった。

中島健人さんにお会いするのは55日ぶりだった。基本的にはグラウンドの中央に据えられたステージで「授業」がすすめられるので、わたしは油断していた。嵐やSexy Zoneの面々がステージを降り、いまいち趣旨のわからないリレーや、ドッヂボールのがちんこ対決に打ち興じても、外野席の前列に座っていたわたしは「あ~なんかやってるな~」ぐらいにのんきに構えていた。リレーもドッヂボールも、中島健人さんはつねにわたしの死角にいたから、ある程度おだやかな心持ちでディスプレイを見守っていた。

だから、「校歌斉唱」の時間が終わり(わたしは不真面目な生徒なのでほとんど歌わなかったものの)、それぞれのメンバーがトロッコに乗り始めたとき、わたしは「おや?」とおもった。わたしの死角に立っていたはずの中島健人さんがお乗りになったトロッコは、ホームベースのあたりをぐるりとまわって、やがてわたしのいるレフト側にゆっくりと近づいてきた。

え、ちょ、待て待て待て待て待て。やばいやばいやばいこのままだと中島健人こっちに来るんだけど。

ロッコは進路を変えず、中島健人はこっちに来た。

切ったばかりの前髪が可憐に揺れている。スタンド席、バルコニー席、そして2階席にていねいに視線をすべらせながら、ひとりひとりのファンに向けて手を振る仕草は蝶のようにかろやかで、蜜のように甘い笑顔とあいまって、背後には東京ドーム一面のお花畑が広がっていた(わたしの目にはそう見えた)。

使うことはないだろうなとおもいつつ、念のためメゾンドフルールのトートバッグに忍ばせていたうちわで顔の半分くらいを隠しながら、わたしはかたまっていた。うちわの柄をもつ手が汗ばんでいる。からだが痺れて感覚がなくなっていたけれど、視界のすみでじぶんの右手がぎこちなく揺れていたから、なんとか手を振り返そうとしていことは確かだ。目が合ったかどうかはわからない。推しがわたしを見たかどうかもわからない。いや、でもそんなことはどうでもいいのだ。どうでもよくはないけれど、いいのだ。

中島健人、近くにきた。中島健人、生きてた。

 

中島健人さんが生きているなんて、もちろんずっとわかっていた。

「授業」中、こまめに台本を開きながら進行を確認していたご様子だったのに、じぶんの出番でミスをしてしまったお姿を目の当たりにして、「あっ生きてる」っておもった。中島健人でもまちがえるんだ。ミスを指摘されて照れ笑いをしている表情はとてつもなくキュートで、たいへん愛らしかったのだけれど、それはなんだか、アイドルとしての「ケンティー」とひとりのにんげんとしての「中島健人」のあわいを垣間見てしまったかんじで、心臓を鷲づかみにされたみたいに胸がくるしくなった。

また、VRを利用して観客にかき氷を「あーん」して食べさせてあげるという見せ場では、「ケンティー」節を発揮しつつ、菊池風磨くんの絶妙な合いの手に「中島健人」として素の笑みをこぼしてしまうという一幕もあり、わたしは泣きそうだった。というか泣いていた。中島健人の実在はもちろん、「ふまけん」の実在を、つまり中島健人菊池風磨の関係が現に続いているもの、続いてゆくものであることを、あらためて痛切に感じたからだ。

かき氷のくだりが終わったあと、中島健人さんはじぶんの席に戻りがてら、菊池風磨さんに歩み寄ってなにか耳打ちをしていた。笑いながらなにかささやきかけていた。

そして、たのしげな表情を浮かべてじぶんの席に戻った中島健人さんと、菊池風磨さんの座っているすがたを見て、なんだか感動してしまった。わたしは座席の位置的に彼らを横から見ていたのだけれど、ふたりのからだは、ぜんぜん厚みがちがった。華奢ですっきりと椅子におさまっている中島健人さんに対し、菊池風磨さんはどちらかというと窮屈そうに座っていて、がっちりとした上半身を持て余しているように見えた。

あっ、生きてる……。このふたり生きてる……。別々の肉体と別々の意思をもったふたりのにんげんがジャニーズ事務所で出会い、いろいろな、ほんとうにいろいろなことがあって、たくさん壁を乗り越えて、いま、東京ドームのステージに並んで座ってる……。

 

目の前をゆっくりと通りすぎていった中島健人さんを見送りながら、わたしがおもいだしていたのは、先の「ふまけん」のくだりだった。

それをおもいだしながら、わたしは「もっと、もっと」とおもっていた。もっと近くにいきたい。けれども中島健人さんに「ファンサ」をしてほしいとか、認知されたいとか、そういう欲望を持っているわけじゃない。「わたし」のままで中島健人さんに近づきたいんじゃない。そう、いうなれば彼の「シンメ」として、近づきたい。でもそんなことは無理だ。だとしても近くにいきたい。もっと近くに。

中島健人さんが生きていて、アイドルをしてくれていて。「ケンティー」としてわたし(たち)の前に立ってくれること、それだけで充分だったはずなのに、いつしかわたしは「推しのシンメになりたい」という欲望まで抱くようになっていた(と同時に、シンメではなく「推しそのものになりたい」という欲望も持っているのだけれど、そのはなしは今回は割愛)。

中島健人さんが生きていること、中島健人さんの実在を受けとめきれていないのは、わたしが中島健人さんをすきになりすぎて、彼と関係したくなってしまったからだ。もちろん実際に関係を持てるわけじゃないし、持ちたいわけでもない。「わたし」としては、万が一できると言われたってそんなこと無理だ、全身全霊で逃げ出すとおもう。わたしは彼の「シンメ」として、彼のとなりに立ってみたかった。彼に背中を預けられてみたかった。

それができないとわかっているからこそ、わたしが「わたし」として中島健人さんと関係せざるを得ない現実がしんどくて、中島健人さんの実在そのものすら、どうやって受けとめたらいいのかわからなくなってくる。

予期せぬ近距離に中島健人さんがいらしたことにより、わたしは混乱した。もちろん、まず何よりも感動があった。Sexy冠で放映されたバレエの特訓の成果でもあろう姿勢のきれいさ、所作のうつくしさ。そして顔。とにかく顔がいい。わたしはありとあらゆるにんげんの顔のなかで、中島健人の顔がいっとうすきだ。顔だけじゃない。からだも声も、すべての生き物のなかでもっとも理想的な形態をしているとおもっている(これは美醜の問題というよりは、わたしの愛情や思い入れのもんだいだ)。

感動の次に、戸惑いがあった。ひょっとしたらいま、中島健人さんの視界に入っているわたしは、なんなんだろう。わたしのいまのすがたは適切なすがたじゃない。おんなで、異性愛者じゃなくて、事務所の方針に賛同できなくて、24時間テレビも応援できない、そういうわたしが、中島健人さんの視界に入るのはふさわしくない……。

わたしは、あなたの「シンメ」になりたかった。「シンメ」として、あなたと関係したかった。いま、げんに生きている、生身のからだをもったあなたと。ときには間違え、ときには失敗もする、等身大のあなたと関係してみたかった。

 

「わたし」として26年ばかりも生きてしまったわたしが、いまさら推しの「シンメ」になれるはずもなく、わたしの欲望はどうころんだって叶いようがない(叶わないとわかっているからこそ、安心して欲望していられる)。また、ひとりのファンとして中島健人と関係を持っていられることに感謝もしている。たぶんそれ以外のなんらかの関係を持つことはできない相手だからこそ、「アイドルとファン」という関係だからこそ、わたしは中島健人のことをこんなにすきになった。

しかし、それでもなお、わたしは「推しのシンメになりたい」という欲望を捨てられない、あきらめきれない。

日曜日の公演、先にふれたVRかき氷の場面で、ケンティーは4万5千人の前でキス顔を披露した。それもぜいたくなリップ音つきだった。わたしはそれをファンとして楽しんだ。恋愛感情ではないけれど、「ケンティーというアイドルのパフォーマンス」としては満点以上のものだとおもったし、そういうパフォーマンスを生で味わえたことにとても興奮した。

けれどもわたしが推しのシンメだったら、そのパフォーマンスにこんな反応をしたかった、だとか。映画の撮影や冠番組で限界だったはずの推しに、こんな風に声をかけたかった、だとか。詮無いことばかり考えてしまうけれど。

推しはきょうも生きていて、しゃかりきにアイドルをしている。わたしもしゃかりきに「わたし」を生きなければ、とおもうのだった。仕事も、創作も。

「レズなのにジャニーズが好きなの?」

高校生のころ、学校にすきなおんなのこがいた。わたしたちはお互いのことを名字で呼び合っていたので、ここでは仮にスズキとしておこう。

スズキとは一度も同じクラスになったことがなかった。話すようになったきっかけもろくに覚えていない。たぶん、当時仲が良かったともだちの仲が良かったともだちの仲が良かったともだち、くらいのぼんやりしたつながりで、気が付いたら顔見知りになっていたんだとおもう。スズキは人懐っこく、笑顔がとびきり明るくて、屈託のない性格をしていた。

いや、ほんとうにそうだったのかは自信がない。なにしろわたしはスズキのことをほとんど知らなかったから。

スズキとは、当時使っていたことばでいうと「体の関係」だった。廊下ですれ違いざまに「今日もでかいな!」と胸を揉まれたり、「いいにおいがする」と抱き締められたり、意味もなく腕を組んで歩いたりした。

それでいて、ふたりで遊びにいったり、夜中に長電話をしたりするような付き合いはまるでない。いまおもいかえしても不思議だけれど、スズキとはそういう距離感でいるのが心地良かった。クラスが違うし、わざわざ会いに行くこともしなかったから、毎日話せるとは限らない。スズキに会えることを期待していたわけでもない。けれども、廊下で顔をみかけたらうれしかった。体育はしぬほどきらいだったけれど、スズキのクラスと合同で授業をする日だけは、とてもたのしかった。

いまでも、忘れられないできごとがある。

スズキを含め、当時仲の良かったともだち数人と築地に出かけた。確かクリスマス間近の時期だったとおもう。市場で海鮮丼を食した帰り、銀座に寄ってカラオケをしたのだけれど、その移動時間だったか。

わたしたちは駅かどこかのエスカレーターに並んで乗っていた。わたしが一番うしろで、その前がスズキだ。

前後の文脈はなにひとつおもいだせない。ただ鮮明に覚えているのは、不意にスズキが振り返って、わたしの頬にキスをしたこと。

当時のわたしたちは確かに「体の関係」を結んでいたけれど、そうはいっても、さすがにキスをしたことはなかった。だからたとえ頬にであっても、わたしは驚いた。そしてどきどきが止まらなかった。いくらともだちとの距離感が近いスズキでも、誰彼構わず頬にキスをすることはないんじゃないか。ひょっとするとわたしは、スズキにとって特別な相手なんじゃないか。

そのできごと以来、わたしは悶々といろいろなことを考えた。けれども結局、スズキ本人には何も言うことができず、わたしたちの関係は卒業まで何も変わらなかった。ときどき廊下でばったり顔をあわせては、くだらないことで笑い、ちょっと行き過ぎたスキンシップをして、またねと別れる。だから当然、卒業したらつながりは呆気なく切れた。スズキが今どこで何をしているのか、わたしは何も知らない。

当時のわたしは、mixiで知り合ったおたくともだちと「好きな男ができない」と嘆きあったり、なりきりチャット(通称なりチャ)で知り合った年上の女性に恋をして、バイト代を貯めて福岡に飛んだりしていた。初恋は幼稚園のときで、相手は同じ組にいた色白で華奢な男の子だったけれど、初めて交際した相手は女性で(福岡のひととは別人)、リズリサのお洋服と「おおきく振りかぶって」の阿部隆也がすきなひとだった。

要するに、いわば「異性との経験はないけれど、同性との経験はある」状態だったのだ。

 

わたしはこれまで自分が「同性を好きであること」で悩んだことはなかった。けれども、「異性を好きになれないこと」「異性との経験がないこと」では、ものすごく悩んできた。悩んできたというより、苦しんできた。

当時足繁く通っていた2ちゃんねるの「喪女板」のとあるスレッドでは、「男にモテないから女に走る喪女」の存在が取沙汰されており、わたしは泣きながらそのスレッドを読んだ。しんどくてたまらないのに、ひとつひとつの書き込みを細かい言い回しまで覚えてしまうくらいに読み込んだ。

また、「このひとと一緒にしにたい」とまでおもいつめていた恋の相手には、「きみの恋愛感情は気の迷いだとおもう。男と付き合ってみたらわかるよ」というようなことを頻繁に言われた。当時すきだったその女性は、同性とも異性とも交際したことがあるというひとだったから、経験者にそんな言い方をされてしまっては何も言い返せない。まだ二十歳にもなっていなかった当時のわたしは、ただただ悔しくて彼女のジュースを黙って勝手に飲み干したりしていた。

男を好きになって、男と付き合わなければ。はやくこの「処女」という重い枷を外してしまいたい。

ある時期までのわたしは、そんな強迫観念にとらわれていた。いま思えば、異性との経験がなければ女性として「欠陥品」であるというような文化そのものがおかしいのだし、同性との恋愛をまっとうな経験としてカウントしない空気もホモフォビックで許しがたいものだ。もちろん、そもそも恋愛をしなければ「一人前のにんげん」として認められない雰囲気それ自体が間違ってはいるのだけれど。

結果的に、わたしは異性と交際することになった。すてきな思い出も、おぞましい出来事も、たくさんあった。交際していたときは、ほんとうに相手のことをすきですきでしょうがなかった。しかし、あるときわたしはつらくなってしまったのだった。じぶんが「女」としてしか、みられていないことが。

わたしは交際相手の性欲を徐々に疎ましく、そして恐ろしく感じるようになった。会えば必ずセックスをしなければならないことが、はっきりと負担になってきた。わたしがなりたかったのは、「彼女」でも、ましてや「妻」なんかでもなく、「ライバル」「親友」「戦友」「シンメ」……そういったことばで名指される何かだった。ながいながい時間をかけてようやく、じぶんの気持ちをことばにすることができるようになった。

それからほんとうにいろいろなことがあって、相手とは別れた。もちろん、わたしの理想とするような関係性を築いている異性のカップルは世界のどこかにいるかもしれないし、異性と対等な関係をむすぶのは土台無理なはなしだと考えているわけでもない。ただ、わたしたちにそれはできなかったし、なおかつ、わたしはじぶんが「パートナー」として異性を選びたいわけではないのだ、ということに気づきつつあった。

 

男を好きにならなければならない。セクシュアリティを学ぶ、学ぼうとしている身なのだから、彼らがヘテロセクシュアルというだけで、その欲望を否定してはいけない。長らくじぶん自身を苦しめてきた抑圧から、さいきんやっと、自由になれた感覚がある。ひとをセクシュアリティによって裁くことがあってはならないけれど、じぶんにしんどい思いをさせるものを、無理に好きになろうとする必要はないだろう。

「男と付き合ってきたわたしなんかがレズビアンと名乗ることはできない」というような後ろめたさも感じてきたけれど、セクシュアリティは流動的なものだ。ひとは生まれてから死ぬまで同じセクシュアリティであるとは限らないのだから、わたしがじぶんを「レズビアン」だとおもうなら、わたしは「レズビアン」だろう。やっと、ほんとうにやっと、そんな風に考えることができるようになってきた。

けれど、新たな屈託も生まれる。

「レズなのにジャニーズが好きなの?」と、ひとから聞かれたことがある(ちなみにわたしは「レズ」とひとに呼びかけるひとのことがあまり好きではない)。別のひとから、「ジャニーズが好きならおとこが好きなんじゃないの?」ということばを投げかけられたこともある。

確かに、恋愛や性愛の対象が女性であるなら、女性のアイドルをすきでいた方がはるかに「わかりやすい」かもしれない。でも、ひとの欲望がつねに「わかりやすい」ものであるとは限らないだろう。そんなのは当たり前のことじゃないか。仮にレズビアンで女性のアイドルを推しているひとたちがいたとしても、その欲望は個々に違って複雑な、ややこしいものである可能性もある。

わたしは、アイドルに足していわゆる「ガチ恋」「リア恋」と呼ばれるような感情を抱くことをぜったいに否定したくないとおもう(その点、わたしの希望である中島健人さんはすばらしい考えをお持ちなのだが、詳しくは長くなるのでまたの機会に譲りたい)し、じぶん自身その手の感情を推しに抱いたことはある。わたしの場合は「恋人になりたい」じゃなく、「告白してフラれたい」とか「推しがさみしいとき二番目くらいに呼び出される気軽で、でもちょっとウェットな関係になりたい」とか、そういう類のものにはなってくるけれど。

要は何が言いたいかというと、推しへ抱く感情はほんとうに多様で、それが常に「恋愛感情」であるとは限らない、ということ。

 

以前参加していた同人誌でも書いたことがあるのだけれど、わたしはいまの推しと「一緒に仕事がしたい」とおもっている。推しのとなりに立ちたい。推しがしんどいときには推しの分までわたしが踊るし、わたしがしんどくなったら、推しにはわたしを信じて歌ってほしい。向かい合わせで手を差し伸べる関係じゃなく、お互いを信頼して、背中を預けられる関係になりたい。

一介の凡人が何を言っているんだとおもわれるかもしれない。むしろじぶんでもそうおもう。けれども、これはわたしにとって真実な感情だ。推しと仕事がしたい、推しのシンメになりたい、もはや推し自身になりたい。

そういう風に推しをみているとき、わたしはじぶんが「女」であることを忘れている。わたしはジャニーズ――というより中島健人が好きなので、いまは中島健人のはなししかできれないけれど、これはひょっとしたら他のアイドルや、タレントにも当てはまるだろうか。

ケンティー――アイドルとしての中島健人――は、ファンであるわたしにありったけの愛のことばを、ありったけの感情をささげてくれる。ケンティーがあまりにもおおっぴらに、あまりにもあけすけに愛を語ってくれるものだから、その愛に、その感情に、わたしも安心して溺れることができる。しかしケンティーは、わたしに何の見返りも求めない。「女」であることも、「女らしく」あることも、もっと言ってしまえば「男を好きである」ことも。

だからわたしはケンティーが好きだ。彼のことは、臆せず好きだと言える。このうえなくスウィートな顔立ちも、セクシーな体つきも(最近ますますお痩せになって心配は尽きないが)、パフォーマンスにこだわりすぎる危うい情熱も、隙のないお歌もダンスも、何もかもが好きなんである。わたしが「女」だからじゃない。むしろそれは、ケンティーがわたしに「女であれ」と強要しないからだ。「女」としての感情的、あるいは肉体的な奉仕を一切求めずに、ただただ好きでいることを許してくれるから。

わたしはしばしばケンティーになりたいとおもう。いや、しばしばというのはうそだ。毎日毎時間毎分毎秒、おもっている。ケンティーのシンメになりたいともおもう。同性の「パートナー」として、背中を預けられる存在になりたい。しかしだからといって、わたしは「男」になりたいわけじゃない。あくまでも、同性として、推しの隣に立ちたかったと願うだけだ。

ケンティーだけじゃない。好ましいと感じる異性の友人がいると、「わたしが男だったらよかったのに」とおもうことがある。「わたしが男だったら、屈託なくこのひとを抱きしめることができたかもしれないのにな」と。けれどもわたしが男だったら、そういった友人たちと親しくなることはなかったかもしれないし、彼らは男のわたしに抱きしめられることを望まないかもしれない。

わたしはとにかく、同性同士の親密なつながりにこだわりがあるタイプのにんげんなのだ。「にんげんとにんげんの親密さに、性別もくそもあるか」と、おもうひとがいるのはわかる。わたしは強固な「ヘテロフォビア」を抱えているんだろうし、すべてのにんげんを「男」か「女」に割り振る暴力には抗うつもりでいて、性別二元論の重力から逃げ切ることはできていない。

でも、とおもう。これは単なるルサンチマンかもしれないけれど、「一対一の男女で番うことが当たり前」という異性愛の覇権がまったく揺るがされていないこの状況で、「みんな違ってみんないい」とか「愛は愛じゃん、性別なんて関係ない」とか言ったって、単に現状を肯定することにしかつながらないんじゃないの、と。

 

わたしはたくさん間違っているとおもう。たくさん誰かを傷つけてもいるとおもう。決して居直ってはいけないとおもう。けれども、わたしのこだわりを、わたしの欲望を、これ以上わたし自身が殺さないように、書き残しておこうとおもう。

推しの仕事を推せない

箸が転んでもかなしい、という時期がある。わたしは元来陰気なたちなので、月のほとんどがその時期にあたるんだけれど、きょうもきょうとてそんな気分だった。

職場のひとらと折り合いがつかず、頼まれた仕事の目途もたたず、途方に暮れ涙ぐみながら、休憩時間中にSummer Paradise 2017のBlu-rayディスクを楽天ブックスで予約した。

ランチに入った中華料理屋(主菜の大盛りが無料でご飯も食べ放題なので、たいして美味くはないが気に入っている)の店員さんには、おもいっきり怪訝な顔でみられた。確かにわたし不審だったとおもう。ごめんね店員さん。

さて、Summer Paradise、通称サマパラとは、普段はグループで活動をしている某事務所所属の若手アイドルが、それぞれにソロコンサートを催すイベントで、ここ数年、わたしの推し――もといわたしの唯一にして最大の希望である中島健人さんも、参加していた。特に昨年のサマパラは思い出深い。数年ぶりに中島健人さんと再会を果たした、特別な現場だったからだ(「再会」にいたるまでの経緯とか、そもそもどうしてそれが「再会」になるぐらい離れていた時間があったのかとか、そのほかもろもろの事情はまた追々書きたい)。

ひるま、サマパラをおもって情緒が乱れてしまったのは、仕事がしんどいとか、生活がしんどいとか、そういう理由もあるけれど、いちばんこたえたのは、今年のサマパラに推しが出ないこと。どうして今年のサマパラに推しが出ないのか、その理由はなんとなく分かっている。

推しの所属するグループが、24時間テレビのメインパーソナリティーに選ばれたからだ。


はっきり言って、わたしは推しに24時間テレビに出てほしくなかった。これを書きなぐっているいまも痛切に感じている。出てほしくない。いまからでも遅くないから嘘だと言ってほしい。いや、そもそも24時間テレビという番組そのものが消えてほしい。

アイドルを好きでいて――特にジャニーズを好きでいて――つらくなる瞬間というのは、残念なことに、正直たくさんある。事務所の体制がアイドルをぜんぜん守ってくれないものだったり。アイドルたちの関係に濃密なホモソーシャルの雰囲気を感じてしんどくなったり。ファンコミュニティのなかで、ヘテロセクシュアルではないじぶんの居場所が、どこにもないと感じたり。

そのなかでも、この「24時間テレビ問題」は避けては通れない深刻な問題のひとつだ。

 

ほんとうは、わたしだって推しのすべての仕事を推したい。推しがこの仕事をうけてものすごく喜んでいることを知っているから。推しは常々「トップをとる」という趣旨の発言をしているけれど、24時間テレビの仕事が、「トップをとる」ためのステップになるって、なんとなく分かるから。だからこそ、推しの夢に、推しの目標につながる仕事を応援したい。応援したかった。

けれども、わたし自身の思想、信条に照らして、「24時間テレビ」的なものを認めることは到底できない。

「ひたむきに頑張る障害者」のすがたに涙する「健常者」。おぞましいにもほどがある、とおもう。「感動」を消費するコンテンツとして「障害者」を動員することは、いっけん「障害者」に歩み寄っているかのようにみえて、実態はその真逆だろう。

ほんとうに考えなければいけないことを考えなくてすむように、「健常者」にとって都合のいい部分だけを切り取って、「障害者」を「感動」コンテンツに仕立て上げる。端的に言って反吐が出る。

わたしは専門的にこの分野の勉強をしてきたわけではないけれど、「マジョリティ」を脅かすことのない「マイノリティ」だけが生存を許されるのは、ちゃんちゃらおかしいとおもう。

「マジョリティ」が認めようが認めなかろうが、「マイノリティ」は存在している。そもそも、誰かが存在することに対して、他の誰かの許可なんているかよ、というはなしなのだ。

 

このように悪名高い(とわたしはおもっている)24時間テレビでは、毎年、さまざまなジャニーズのアイドルがパーソナリティーを担当してきた。これまでじぶんの好きなアイドルたちが、24時間テレビの「感動」ノリを強いられているすがたをみて、わたしはただただしんどかった。

いや、「みて」と言ったけれど、実際、ほとんどみていられなかった。企画やドラマのコンセプトもひとつひとつが漏れなく地雷だし、マラソンにいたってはシンプルに意味が分からない。それにそもそも24時間ぶっ続けで生放送するという形態もどうかとおもう。推し、生身のにんげんなんだよ!!生きてんだよ!!頼むからこれ以上無理させないでくれよ!!!!!!!!

とはいえ、ここまで散々文句を言ったのに、いざ放送当日になったら恐る恐る番組をみてしまっていそうな予感もして、いたたまれない。だって推しはみたい。けれども絶対に嫌な思いをするということは分かっている。いくら推しが全力を注いでいる仕事だからといって、わたし自身の思想信条をまげてまで許容することはできない。でも、なによりも「アイドル」として働いている推しのすがたを、わたしは愛している……。

答えはでない。

 

さきほども書いたけれど、これは24時間テレビに限ったはなしではないのだ。たとえばバラエティ番組で、ゲストとして登壇したいわゆる「オネエタレント」にスキンシップを図られて、推しが心底不愉快そうな顔をするとか。「ニッポンすごい」系のコンテンツで推しが「ニッポン」上げをしているとか。ホモフォビア全開のコンテンツに推しが出演しているとか。推し同士が、ある属性や立場のひとびとへの偏見に満ちた差別的な会話を交わしているとか。

そういう仕事を推しにあてがう事務所だったり、テレビ業界そのものだったりが憎いこともあるけれど、場合によっては、推し自身に失望してしまうこともある。

どうしてそんなおもいをしてまでアイドルを推しているんだろうって、じぶんでも考えて込んでしまったりする。推しの仕事を推せないわたしは、ファンとして失格なんじゃないか。まじりけのない「好き」という感情を推したちに向けることのできないわたしに、ファンでいる資格はないんじゃないか。

また、こんな風におもうこともある。修士号までとって、専攻ではないとはいえジェンダーセクシュアリティを学んできたわたしが、じぶんの信条と相容れない(ことの多い)対象を好きでいていいのか、と。アイドルおたくとしてのじぶんが、文学やセクシュアリティを学ぶ者としてのじぶんを裏切っているんじゃないか、と。

 

それでもアイドルが好きなわたしは、矛盾に満ちている。何度もやめようとおもった。実際にまったくアイドルを追わなかった時期もあった。でも、好きでいることはやめられなかった。だからといって、好きだからしょうがないと居直ることもできなかった。

推しのすべてを愛しているけれど、推しのすべての仕事を推せるわけじゃない。そういうわたしは勤勉なファンではないし、望まれているファンでもないだろう。ファンコミュニティにも、ずっとじぶんの居場所はないとおもってきたし、たぶんこれからもそれは変わらないとおもう。きっと、百人ファンがいれば百通りの推し方がある。わたしにはこういう推し方しかできないのだ。

推しが間違った方向に進もうとしていたら、刺し違えてでも止める(もちろんそんなことにはなってほしくないし、ならないことを信じてもいるけれど)。それくらいの覚悟と気概をもって推しを推していきたいし、それが、日々推しに生かしてもらっている、わたしにできることだとおもう。だからこそ、わたしは学び続けていきたい。学び続けていかなければいけない。

 

それでもね。矛盾に満ちたおたくであるところのわたしは、やっぱり切におもう。推しには夢を叶えてほしい。ぜったい「トップ」をとってほしい。けれども「国民的」アイドルにはなってほしくない。「ニッポン」なんて背負ってほしくない。推しにはいつまでもケンティーラバーズである「わたしたち」のアイドルでいてほしい。

だから24時間テレビなんかよりずっと、今年もあなたのサマパラがみたかったよ。

えらぶ覚悟、えらばない覚悟

なにかひとつを選ぶということは、それ以外のすべてを選ばないということだ。


松浦理英子という小説家をあつかった修士論文のある章を、わたしはこんな風に書き始めたのだった。どんなになにげない選択であったとしても、選ばれたものの背後には、無数の選ばれなかったものたちがある。

たとえば、書くことはそういった選択の連続だし(無数のことばのなかから、たったひとつのことばをえらびつづけなければならない)、恋愛は、ひょっとしたらその最たるものだとおもわれるかもしれない(他のすべてのにんげんから、たったひとりの恋する相手を選びとる、選びとらされてしまう)。

もちろん、恋の相手がつねにひとりであるとは限らないし、恋愛は生きるうえで不可欠なものでもない。けれども、恋愛からどんなに遠く離れようとも、選択からは逃げられないんだなあ……というのが、このごろおもうところであって。

 

最初の記事で書いたように、わたしは今年のゴールデンウィーク中島健人さんに、Sexy Zoneにささげた。大学院を修了し、二年ぶりに再就職した年の、初めての連休だった。有給休暇も付与されていなければ、試用期間中で給料も低かった(試用期間が明けても大して上がりはしないけれど)。

コンサートにいかなければ、ともだちとごはんにいけたかもしれないし、家でのんびりひとにすすめられたアニメをみることができたかもしれないし、地元で安く飲むこともできたかもしれない。疲れがとれず連休明けにつらいおもいをすることもなかっただろうし、別の推しの現場に入ることもできただろう。それでもわたしは、それらすべてを切り捨ててでも、Sexy Zoneを、中島健人を選んだ。

中島健人さんは、横浜アリーナで全力のパフォーマンスをみせてくれた。さいこうにセクシーで、さいこうにスウィートで、すでに「きっとこれ以上すきになることはできない」というぐらい敬愛していたはずなのに、気が付いたら「どうしてわたしは中島健人じゃないんだろう」「じぶんが中島健人ではないことがしんどい」とおもいつめるほど愛情が、というより執念が深くなっていた。

わたしの生きる理由も、生きる望みも、生きるたのしみも、すべてが中島健人になった。中島健人に恥じないわたしでいたい。どんなときもセクシーでありたい。

そんな調子だから、当然わたしはじぶんの選択を悔やんではいない。時間も、お金も、体力も、気力も、なくなった。けれども中島健人を選んだわたしはまちがっていなかった、とおもった。

でも、ときどきうんざりしてしまう。ほんとうはすべてを選びたいとおもっている強欲で傲慢なじぶんが、嫌になることがある。

 

たとえば推し。わたしは中島健人のほかにも、いくつかの界隈に推しがいる。中島健人さんと同じ事務所に所属するアイドルにも何人かいるし、若手俳優にも、声優にも、はたまた漫画、アニメ作品、洋画、海外俳優にもいる。

すべての推しにそれぞれすきなところがあり、尊敬するところがあるけれど、全員を同じように愛することはできない。感情的にもそうだし、時間的にも、金銭的にも、体力的にもそうだ。実在する生身のにんげんであるか、そうであるかにかかわらず、すべての推しは唯一無二の、かけがえない存在なのに、わたしはその推したちのあいだに順位をつけてしまっている。歴然と。

そのなかでも中島健人さんは、わたしにとって、もはや「推し」とも言い難いなにか特別な位置を占めているひとなので、そういったもろもろを飛びこえてなににおいてもまず優先される存在、ということになっている。つまり、無条件にわたしは中島健人さんを選んでいる。そのほかのありとあらゆる推しを選ばないことを代償として、中島健人さんひとりを、選んでいる。

そのことが誇らしくもあるし、また、苦しくもある。ほんとうは、推しのすべてと、すべての推しと、全力で関係していきたいから。

 

このことはともだちにも当てはまる。じぶんで言うのもなんだけれど、わたしは、ともだちをめちゃめちゃ選んでいる。

 

「そんなに潔癖に取捨選択しないで、もっと余裕を残しておけばいいのに。」

「選ばないでいる余裕がないのよ。」

「その調子で選び続けて行ったら、最後には何もなくなっちゃうんじゃない?」

(『親指Pの修業時代 上』松浦理英子、1995年、河出書房新社、142頁)

 

ことあるごとに、わたしは上に引いた会話をおもいだす。以前ある同人誌に「別れても友達でいようね」という創作を寄せたことがある。

無粋ではあるけれどざっくり筋を紹介してしまうと、主人公の男性が、親しい同性の友人に「別れよう」と切り出される。友人との別れをきっかけに、「恋人は別れたら友達になれるけど、友達は別れたら何になるの?」と、主人公の男性はひたすら悶々とする。……とまあ、こんなはなしだ。どうしてこんな散文を書いたのかというと、わたし自身、実際にともだちと「別れる」ことがあるから。

別れの理由はさまざまある。たとえば、どちらかの感情が大きくなりすぎてしまい、バランスがとれず一緒にいることがしんどくなるとか。政治的・思想的な立場が相容れない(相容れないことがお互いにとって非常なストレスとなる)とか。恋人・配偶者ができて疎遠になるとか。お金の遣い方がぜんぜん違うとか。あるいはもっと単純に「同担拒否」だったとか(単純とは言ってしまったけれど、深刻なもんだいです。解釈違いの同担より、解釈に理解を示しあえる他担のほうが、一緒にいてこころやすらぐ場合もおおい)。

白か黒か、0か100かしかないわたしは、「これこれこういう理由で、あなたと別れたいとおもっている」と、相手に直接伝えたりもする。とてもじゃないが誠実とはいえない振る舞い方をしてしまう場合もある。先方は納得することもあるし、しないこともある。


大学院を修了して、再び週5日、フルタイムで働くようになって、改めて痛感した。じぶんの自由な時間を、お金を、体力を、感情を、他人にささげるのは、とてつもなくハードルの高い行いだ。かぎられたリソースを、このひとのためになら使ってもいい、とおもえること。そうおもえるような相手と、出会えること。出会えたこと。それはなんだかものすごい事態なんじゃないか。「ともだち」っていうのはこういう相手のことをいうんだと、いまさらながらに打ちのめされた。

だからますます、「取捨選択」はエスカレートしていく。

ほんとうは、すきなともだちみんなと美味しいごはんを食べたいし、すきなともだちみんなと旅行したいし、すきなともだちみんなとディズニーにいきたい。でも、そんなことはどだい無理だ。わたしはひとりしかいないし、自由にできるお金も、時間も、体力も、感情も、かぎられている。

だからわたしは、ともだちにも順位をつけてしまう。このひととはふたりで旅行できる。このひととはふたりでディズニーにいける。このひととはふたりで飲みにいける。このひととはふたりでランチにいける。このひととは政治のはなしができる。このひととは文学のはなしができる。このひととは趣味のはなしができる。このひととは……と、いうように。

そして最終的に、「このひととできることで残っているのは、別れることだけだ」というと相手と、別れることになる。潔癖で、傲慢で、身勝手で、さいあくだなあ~と、われながらおもう。「別れた相手」のことを、別れたあとも未練がましくすきだったりするから。

 

誰かを、なにかを選ばないという覚悟もないくせして、誰かを、なにかを無責任に選んでしまうのが、わたしなのだとおもう。この「選ぶ」という行為はとても難しくて、どこまでが自分の意志なのか、判然としないところがある。

特に中島健人さんは、わたしが主体的に「選んだ」というよりも、「選ばされてしまった」といった方が近い存在。推すことを、愛することを命じられたような感覚があるのだ。もちろん、だとしてもその命令に従うことを決めたのはわたしの意志だけれど(ともだちについても、同じことが言える。まるでなにかにひきつけられ、呼び寄せられたように、関係をしてしまう相手というのはいる)。

ここまでだらだらと書いてきて、ぜんぶ、当たり前のことだよなあという気持ちもある。同時にふたつ以上の音を発することができないように、同時にふたつ以上のことばを書きつけることができないように、選択はつねに別れをはらむものだ。選ばれなかったものたちとの別れ。なにかを選ぶということはそれ以外のすべてを選ばないことだし、逆に言えば、すべてを選ぼうとすることは、なにひとつ選ばないことに他ならないのだろう。選択はしんどい。

 

けれども、と考えてみる。中島健人さんのことを。わたしがしんどいおもいをして選びとった中島健人さんというきらめきは、けっしてわたしを選ぶことがない。中島健人さんは、ひとりひとりのファン全員を選ぶかわりに、そのなかの誰かひとりを特別に選んだりしない。それはわたしのようなファンにとっておおきな救いだ。中島健人になりたいとおもうのも、ひょっとすると、「すべてを選びたい(=なにひとつ選びたくない)」という欲望のあらわれなのかも、と感じたりもする。

真摯に、そしてセクシーに、すきなひとたちと関係していきたいなあ。

憂鬱でいいじゃん

以前サンリオピューロランドへ遊びに行ったとき、あるショーでキティさんがこんなようなことを言っていた。

「誰にだって憂鬱になるときはあるもの!」

いちおう文脈を説明しておくと、みんな仲良く平和に暮らしていた(もとい、キティさんをピラミッドの頂点に据えた「カワイイ」による統治が行き渡り安定した秩序が保たれていた)サンリオピューロランドの世界に、なにやらあやしげな魔女たちがやってきたんである。

ダニエルくんという、正直なんでいるのかよくわからない男の子のキャラクターが「やっつけてしまえ!」と武力行使を訴えるのに対し、キティさんは「そんなことダメ!」とダニエルくんを制止する。

「誰にだって落ち込んでしまうことはある。私にだってあるもの。だから話せば、きっとわかる!」

記憶があいまいで細部まで鮮明に思い出すことはできないけれど、キティさんがおおむねそのような趣旨の発言をしていたことは確かだ。その台詞には、かなりの衝撃を受けたから。

キティさんのような世界的なキャラクターが、いわばひとのこころのダークサイドとでも言うべき(キティさんたちが「ひと」であるかどうかいうのはさておき)ネガティブな感情をおおっぴらに肯定するなんて。しかもキティさんは、「私にだってあるもの」という風に、自分自身のこころにも暗い感情が芽生えることがあると告白しているのだ。それはとても勇敢な振る舞いだとわたしはおもう。理解しあえない相手、理解しあえそうにない相手と対峙したとき、じぶんから相手に歩み寄っていくことはほんとうにむずかしい。得体の知れないものはこわいし、おそろしい。だからつい暴力に頼ってしまいそうになる。ダニエルくんのように。

キティさんが対話によってあやしげな魔女たちとこころを通わせていくさまを、呆然と見つめていたダニエルくん(たぶん)。わたしはそんなダニエルくんに、どこか自分を重ねていた。

そう。ダニエルくんがわたしなら、キティさんは中島健人だった。

 

6日に発売されたSexy Zoneの新曲「イノセントデイズ」をきいて、わたしはサンリオピューロランドでみたショーの一連を思い出したのだった。この曲はメンバーの佐藤勝利さんが出演しているドラマの挿入歌にもなっているし、5月のコンサートでも何度か聴いているので、発売前から耳に馴染んでいた。にもかかわらず。リリース日である6日、改めてフルバージョンのこの曲を聴き、わたしはぼろぼろと泣いてしまった。いい。なんてすばらしいんだイノセントデイズ。そしてなんてやさしいんだセクシーゾーン。

終わりの見えない仕事を家に持ち帰り、行き詰っていた創作小説のファイルをむしゃくしゃして消し、「ええっ!?なめこさん結婚願望ゼロなの!?なんで~!?」と半笑いで雑にいじってきた同僚を呪いつつ、夕飯のつもりで買ってきたブタメンをすすっていたわたしは、やるせない現実のすべてを、みにくい感情のすべてをセクシーゾーンに許された気が勝手にしてきて、涙が止まらなくなった(そして、あ~とかう~とか言いながら、伸びてぶよぶよになったブタメンを喉に流し込んだ)。

いったい、なにがそんなに泣かせるのか。

 

なにがだなんて、それはもうすべてとしか言いようがない。どんなにことばを尽くしたところで、セクシーゾーンは、というか中島健人は、常にことばを越えたかがやきをはなち続けているのだから。なんて言いつつ、それでも語ることをやめられないからこんなブログを始めてしまったわけだけれど。

ここがいい、あそこがいい、と、Music Clipも含めていくらでも賛辞を捧げられそうな作品なのだけれど、「イノセントデイズ」でわたしがもっとも感動したのは、以下のフレーズである。

「白い絵の具に紛れた黒が 少しずつ育ってくけど それでいいさと 憂鬱も愛していこう 僕なりの現実(いま)を」

「憂鬱も愛していこう」だよ。セクシーゾーンが、「憂鬱も愛していこう」って歌ってくれてるんだよ。あのセクシーゾーンが。棘だらけの薔薇を背負って、痛いぐらいにまぶしいひかりのなかをもがきながらまっすぐに進んできた、あのセクシーゾーンが。しかもこのパートを歌っているのは、他ならぬ中島健人さんだ。

わたしにとって中島健人さんというひとは、生きる目標であり、目的でもある。中島健人のようになりたいし、中島健人に恥じない人間でありたいと、ずっとおもってきた。その中島健人さんに「憂鬱も愛していこう」と歌いかけられて、わたしはただただ動揺してしまった。

なにかと落ち込みがちで陰気な性格をしているくせに、わたしはそういう自分をいまだに許せていない節がある。できない自分が恥ずかしい、がんばれない自分がだいきらい。「誰かの役に立たない人間は生きている価値がない」「何事もがんばっていない人間は面白みもクソもない」というような意見には全力で歯向かうくせして、がんばっていない自分、がんばれない自分を認めることができない。

わたしはわたしの「憂鬱」を愛せていなかった、と思い知らされたのだ。中島健人さんに。誰よりも負けず嫌いで、誰よりも努力をし、誰よりもストイックな、中島健人さんに。

「イノセントデイズ」のひとつ前のシングル、「ぎゅっと」でも、中島健人さんはこんな風にわたし(たち)に歌いかけていた。

それでも夜は明けるけれど 君にとっては ツラいんだろうな」

明けない夜はないんだから前向いてこうぜ、という元気の押し売りではない。夜が明けるとしても、いま君がつらいならそのつらさがすべてだよね、という現状の肯定なんである。

確か太宰治「女生徒」でも、語り手が同じようなことを言っていた。いつかはつらくなくなる、時間が解決してくれる、と、ひとは言うけれど、わたしは今つらいんだと。今まさにこの瞬間がつらいと訴えているのに、いつかはつらくなくなるだなんて適当な誤魔化しを言って、わたしのつらさをないものにしないでくれと。

アイドルの曲をきくこと、アイドルにふれることは、つらい現実に対する抜本的な解決にはならないかもしれない。セクシーゾーンがどれだけすばらしいパフォーマンスをしてくれたとしても、むかつく上司が消えるわけでもないし、就職先が決まるわけでもないし、レポートが終わるわけでもないし、友達と仲直りできるわけでもない。けれども、愛してやまないアイドルが、どうにも抱えきれないわたし(たち)の憂鬱に寄り添ってくれるというのは、なんてこころづよいことだろう。

決して、わたし(たち)の憂鬱をなかったことにしない。つらい現実を見過ごさない。わたし(たち)が自分自身の憂鬱を、憂鬱になってしまう自分自身を愛することができなければ、かわりに彼らの方から愛してくれる。

それがセクシーゾーンというグループであり、中島健人というアイドルなのだ。

 

わたしはずっと、自分が「ジャニヲタ」であることを認められずに生きてきた。かつ、「ジャニヲタ」であるひとたちとも深いつながりを持つことができずにいた。なぜなら、わたしは男性アイドルのファンとして想定されることのない存在であり、「ジャニヲタ」のメインストリームに交わることをはなから諦めているからだ。

男性アイドルのファンとしてファンとして想定されることのない存在とは、どういうことか。つまりそれは、わたしがヘテロセクシュアルの女性ではないということ。必ずしも「異性」として推しが好きなわけではないということ。

とはいえ、アイドルに対して「ガチ恋」「リア恋」と呼ばれるような感情を抱くファンを否定しているわけじゃない。むしろわたしはそういった痛切な感情のすべてがとうといとおもっているし、中島健人が女性だったら、今抱いているような敬愛の念よりむしろ深刻なガチ恋をしていただろうという気がしている(どうしようもない妄想だけれど)。

ただ、きっと多くのひとにとっては些細におもえるような出来事でも、自分にとってはそうではない、ということがある。たとえば、アイドル雑誌のインタビューなどではお決まりとなった「好きな女の子のタイプは?」という質問。どうして男性アイドルがみんな異性愛者だと決めつけるのか? そもそも、男性アイドルがみんな恋愛をしたがっているとも限らないじゃないか? と、わたしはこの手の質問にいまだに傷ついてしまう(もはや定型化された問いではあるので、これになんと答えるか回答を工夫することで、それぞれのキャラクターを打ち出す一種のパフォーマンスとして活用している、という面もあるかもしれないけれど)。

わたしはこの歳になってようやく、かわいいお洋服も着られるようになったけれど、それは異性に「かわいいおんなのこ」だとおもわれたいからじゃなくて、自分に自分の好きなお洋服を着させてあげたいから。だからわたしの思う「かわいい」は、きっと「一般的な男性」にとって「かわいい」ものではないのかもしれない(だから何だよとわたし自身は思っているけれど)。

そんなわけだから、わたしはずっと「ジャニーズを好きな自分」と「異性愛者ではない自分」の折り合いを、うまいことつけられずにいた。どうしておとこがきらいなのにジャニーズが好きなんだ、と。わたしのようなものがジャニーズを好きでいていいのか、と。ジャニーズというメジャーな文化を、メジャーな方法で愛することのできない屈託を、自分なりにずっと抱えてきた。「二宮和也はわたしだ~!」とおもっていた思春期のときも(二宮和也のことがすきすぎて何故か二宮和也はわたしだとおもっていた。でも同時代におなじようなことおもってた陰気なおたく他にもたくさんいるとおもう)。「北山宏光の部下になりてえ~!」と切に望んでいた大学生時代も(北山宏光と一緒に仕事したすぎて半ば本気でジャニーズ事務所に入ろうとしていた)。

 

けれども、中島健人をすきになって数年が経ったいま、わたしは彼に自分が救われつつあることを感じる。

セクシーゾーンのファンは、ある時期まで「セクシーガールズ」(通称セクガル)と呼ばれていた。セクシーゾーンを推し始めた当時すでに成人していたわたしは(ちなみに中島健人は初めてできた自分より年少の推しだった)、「いやあ、さすがにガールズはきついな…」と界隈を遠巻きに眺めていた。自分自身を「ガールズ」だと思えなかったこともあるし、その呼称では、当然いるであろう男性ファンの存在が抜け落ちてしまうのもさみしかった。彼らが若くしてデビューしたことと、ファンの年齢層のボリュームゾーンを考えれば、仕方がなかったかもしれないけれど。

でも、中島健人さんはあるとききっと気付いたのだろう。「セクシーガールズ」という呼称が排除してしまっていた、ファンの存在に。

彼はある時期から、ファンのことを「セクシーラバーズ」と呼び始めた。性別も年齢も問わないその呼称を初めて現場で直接耳にしたのは、先日の横浜アリーナで、だった。腰がくだけそうになった。それはまるで中島健人に、「ここにいていいよ」と言われているようだった。中島健人が、わたしがここにいることを肯定してくれた。真のセクシーとはこれだとおもった。中島健人さんの掲げるセクシーは、対異性に限定されたセックスアピールとは全く異なる次元のものなのだ。

 

推しに恥じない自分でいたい、とおもうあまりに、がんばりきれない自分を認められない。がんばりきれない自分のことも、がんばりきれない自分を責めまくってしまう自分のことも、好きになれない自分がきらい。おとこを好きになれない自分がきらい。どうにかしておとこを好きになろうともがいていた自分がきらい。それでいて同性だけを好きになると確信することもできない自分がきらい。矛盾だらけの自分がきらい。

こんな散文を書き殴ってしまうような最悪のコンディションだとしても、「それでも夜は明けるけれど」、やっぱりわたしにとっては「ツラい」。ただ、「憂鬱」を抱えているわたしの「現実」を、「愛していこう」と中島健人さんは歌う。

それいいか、とわたしはおもうのだった。「憂鬱」なりに、セクシーに生きていこうと。

「きみ」って呼ばれてた

今年のゴールデンウィークは、3日から6日まで、毎日横浜アリーナに通っていた。わたしの愛してやまない中島健人さん属するSexy Zoneのコンサートが催されていたからだ。

4日で計5公演に入ったのだけれど、そのうち3公演は最上階のスタンド席だった。ステージからは距離があるものの(それでもドーム公演に入り慣れている身からすれば近い)、コンサートの終盤では、各メンバーがトロッコに乗り込んでスタンド通路をぐるりと一周してくれるごほうびがある。

スタンドに入った3回いずれも、トロッコに乗った各メンバーと目が合う高さの席につくことができたので、「ああ、いま確かに、中島健人の視界に入った、中島健人の視線がわたしをとらえた」とおもう瞬間があった。勘違いかもしれない。勘違いだろう。いっそ勘違いでもいいのだ。3回分を足したところでおそらく数秒にも満たない時間だったけれど、わたしが塗りかえられてしまうにはじゅうぶんな時間だった。

このSexy Zone XYZ=repainting tour 2018を通して、というか本公演における中島健人さんのパフォーマンスを通して、じぶんの身に訪れたさまざまな変化のことは、これからすこしずつ書いていくことになるとおもうのだけれど、今日はひとつだけ。

4日の夜公演を終えたあとの帰り道、スタトロ(スタンド席をめぐるトロッコ)上からとろけそうに甘いほほえみを向けてくれた健人くんのことで胸がいっぱいになりつつも、わたしはかつてじぶんが猛烈に懸想していた、あるおんなともだちのことをおもいだしていた。

そのおんなのことは、趣味のコミュニティで知り合った。当時わたしは中島健人さん以外の別の推し(仮にAと呼ぼう)にもエネルギーをかたむけていて、彼女とはその推しを推している、という共通点があった。

これはどの現場でもそうなのだけれど、公演中、ついついステージよりも隣の観客のようすが気になってしまうことがある。友人・知人と連番しているのなら尚更そうだ。いままさに舞台上で全身全霊をかけたパフォーマンスをしている推しのことを、一心不乱にみつめているおたくたちの表情を、わたしはうつくしいとおもう。もちろんまじまじと凝視するようなことはしないけれど、もし、彼女とAの現場で連番していたら、わたしはAよりも彼女の一挙手一投足に注目してしまっていたかもしれない。

もういまとなってはなにがなんだかわからないけど、とにかく、めちゃめちゃすきだったのだ。

それまで誰にも話したことがなかったAに対するおもいを、おどろくほど深く理解してくれた。世間には誤解されがちなAの言動を「××はほんとうはこういう風に言いたかったんだよね」というように、いっしょになって考えてくれた。そして何よりAをすきな理由が同じだった。出会って間もないころ、彼女はこんな風に言っていた。

「異性として好きとか付き合いたいとかっていうよりかは、人として尊敬してる。仕事への向き合い方は誰よりもかっこいいとおもうし、わたしもそんな風になりたいなって思ってるよ。」

そう。そうなのだ。タイムマシンがあったら会いに行きたい偉人は誰ですか? と聞かれて「田中角栄」と答えようが(わたし、尊敬する偉人をきかれて「坂本龍馬」とか「田中角栄」と答える人は信用しないことにしている)、Aはかっこよかった。じぶんの生業が「アイドル業」であることに誇りをもって仕事をしているすがた、メンバーの人生を背負っているという責任をもって働いているすがたはわたしの人生に指針を与えてくれた(いまでももちろん、Aのことは敬愛している)。

けれども、わたしはだんだんわからなくなっていった。わたしがすきなのはAなのか。それとも、わたしのすきなAをすきだと言ってくれる彼女なのか。

彼女は、どことなくAに似ているところがあった(と、当時のわたしは感じていた。そのように感じること自体が、Aというフィルターを通じて彼女を見ていた証拠かもしれないけれど)。ネガティブな要素をみずからの内側奥深くに隠して、決して人前では出さない。だから他人にはあっけらかんとした明るい性格をしているようにおもわれるし、人懐こいから可愛がられる。責任感が強くて、仕事に妥協しない。他人に執着することは少なく、人を好きになるハードルは高い。好きになったとしても、じぶんの本質的な部分を明け渡すようなことはしない。宴席などでもっとも気配りができるタイプではあるけれど、他人の感情の機微には決してさとい方ではない……と、いうような。

彼女の(そしてAの)美点はいくらでも書ける気がするし、それでいていくら書いても書ききれる気がしない。ほんとうに、信じられないくらいばかみたいにすきだった。

当時怠惰な大学院生だったわたしは、彼女の出勤時間にあわせて目覚ましをかけ、必死のおもいで早起きをした。どちらかといえば筆不精な彼女が必ず返信をくれるのが、通勤電車に乗っている時間だったからだ。「おはよう、いってらっしゃい」という挨拶はもちろん、推しのはなしや、他愛ない日常のはなし、彼女の負担にならず、「返事をしたい」とおもってもらえるような文面をつたないながらに考えた。「なめこちゃんにいってらっしゃいって言われると、今日も一日がんばろうっておもえる」と、彼女はぽろっとそんな気持ちをもらしてくれたこともあった。

いったいそれ以上の何を望むんだよ? と、おもわないこともない。しかしわたしはあさましいのだ。「推しのはなしをするともだち」以上の何かに、なりたかった。なりたくなってしまった。

わたしは彼女に「あなたというにんげんのすべてがすきだ」と率直に伝えた。「あなたに恋人ができたらいやだ、それが男の恋人でも、女の恋人でもいやだ」とわけもわからず言い募った。「わたしはあなたの人生に責任を持ちたい」と思い上がりも甚だしい放言さえあった。

彼女は冷静だった。

「で、どうしたらきみは満足なの?」と、まずはやり返される(彼女はわたしより二つほど歳が下だったけれど、出会ったときからわたしのことを「きみ」という二人称で呼んだ。わたしはそう呼ばれるたびあからさまにうろたえるほどときめいていた)。

「付き合いたいの?」と聞かれて、わたしは首をふる。恋人になりたいわけじゃない。

「じゃあ何?セックスがしたいの?」と聞かれたとき、わたしは否定できなかった。かといって、開き直って肯定することもできなかった。セックスをしたくないわけじゃない。いや、むしろできることならしたかった。けれども面と向かって「セックスがしたいの?」と問われると、なんと答えてよいのかわからなかった。「はい! あなたとセックスがしたいです! 一回でいいからやらせてください! そうしたらもうあなたのことはあきらめます!」と懇願することもできなかった(かつてすきだった別のおんなともだちにそう言って頭を下げたことはある)。

それからいろいろあって、彼女との関係はもつれにもつれた。感情的にもっともこじれてしまった時期が彼女の仕事の繁忙期にかさなったこともあり、結局は自然消滅のようなかたちになった。連絡をとろうとおもえばとれないこともないのかもしれないけれど、きっとわたしはブロックされているだろう。同じ推しを推す「盟友」のような間柄であった相手に、突然あつくるしい好意をぶつけられた上、それが「恋人になりたいのでもセックスをしたいのでもない(でもほんとうはしたいかもしれない)」というわけのわからない、けれども強度ばかりはあるというようなしろものだったのだ。さぞかしいやな思いをさせたことだろうとおもう。

連絡がとぎれとぎれになりつつあった時期、「わたしはやっぱり男がすきだよ」と彼女に言われたことがある。「あなたとセックスすることはたぶんできない」と。そこまで追い詰めてしまったのか、と申し訳なくなって平謝りすると、「きみの謝ることじゃないから」と笑った。

なめこちゃんと話してて毎日たのしかったし、なめこちゃんのためにがんばろうって本気で思ってたんだけどね。でも、きみと恋人になるとか、セックスをするとかっていうのは考えられないな」と、彼女はあっけらかんと伝えてくれた。「なめこちゃんも、きっとまた好きな男できるって。アイドルの男を好きになれるんだから」という、まるで呪いのような一言を添えて。

わたしが自分勝手に欲望をぶつけなければ、彼女といまでも良好な関係をつづけていられただろうか、とおもうことがある。その一方で、彼女に恋人ができたら、彼女とわたしの関係はどうなってしまっていたのだろう、とむごたらしい想像をすることもある。だから結局、こうなるほかなかったのかもしれない。それはわかっている。けれども割り切れないのだ。

彼女とこんな風になりたかった、あんな風になりたかった、と、具体的なイメージを思い浮かべることはできないけれど、わたしはある痛みを感じていたのだとおもう。それはとりもなおさず、彼女は異性愛者で、わたしはそうではない、という違いに起因するものだろう。「恋人」とか、そういう名前のある関係になりたかったわけじゃない。それなら相手が異性愛者であることに傷つく必要もなさそうなものだけれど、当時のわたしはもうひとりでは立ち上がれないとおもうほど、ショックを受けていた。身も世もなくかなしかった。

けれどもようやく、この経験としっかり向き合えそうな気がしてきた。敬愛する中島健人さんのおかげでね、というはなしを、何回かにわけて書くかもしれないし、書かないかもしれない。いずれにせよ今回はじぶんごとの整理しかできなかったので、中島健人さんがいかにして「恋」という概念を解体し再構築しているのか、ということとか、とにかくすばらしいにんげんなんである、ということなどをメインにすえ書いてゆきたい。