中島健人さんにファンサもらって情緒がバグった話

ことしもSexy Zoneが全国をツアーでまわってくれている。経済的・時間的余裕のなさから、わたしは例年どおり横浜アリーナ公演に限定して入った。

今回は申し込みの時点ですでに転職を視野に入れていたから、「ひょっとしたらGWに休みがとれないかもしれない……」と不安も抱えていたのだけれど、「2019年5月の中島健人には2019年5月にしか会えない!!」という気概で持っている名義をフル活用し(あとから制作開放席が当選するラッキーにも恵まれ)、無事に休みももぎとって結果的に6公演たのしむことができた。

4月に転職して以来ただただしんどくて、ほんとうにこの仕事でよかったのか、何を糧に日々を乗り越えればいいのか、いろいろなことを見失いかけていたけれど、この6公演を通じておもいだした。わたしが転職を決意した理由のひとつが「中島健人に恥じない自分でありたい/になりたい」だったことを。

わたしの人生に中島健人さんが、Sexy Zoneがいてくれてほんとうによかった。

演出でだいすきだったところ、セトリの構成ですばらしかったところ、ひとつひとつ挙げていけばキリがない。ステージも外周も会場全体を目一杯に使って駆けまわるSexy Zoneはとにかく眩しかった。開演前にペンライトの明かりが緑色一色になった景色も、横アリ最終公演でメンバーが「次は5人で」とそれぞれのことばで決意を語ってくれたことも忘れられない(緑は現在休養中の松島総さんのメンバーカラー)。

キュートでチャーミングでセクシーなSexy Zoneの魅力がてんこもりのコンサートで、毎公演終わるごとに胸が詰まるような切ない充実感に満たされた。これをしたためている今も、横アリ最終公演からの帰りの電車で必死に涙をこらえているところだ。たのしかった。とてもたのしかった。

けれども、わたしが今息苦しいほどの切なさを感じているのは、実を言うと「ライブがたのしかった」という理由だけではない。


わたし、中島健人にファンサもらった気がする……。さらに別の公演では、わたし、中島健人にさわってしまった気がする……。


状況を説明するとこうだ。去年のツアーでは一度も床に降りることができなかったけれど、ことしは幸運にも6公演のうちの3公演でセンター席(他の会場でいうアリーナ席)に入ることができた。なかでも1回目は花道横、2回目は通路横! 1回目に入ったときはトロッコで移動する中島健人さんがこちらを振り向いたとき、わたし(のいたあたり)を指差してくれた(ような気がする)。何が起きたのかわからなかった。

2回目は、1曲目の終盤で中島健人さんが客席のあいだを移動するときの通路の、まさに真横の席だった。一瞬で通り過ぎていくのだろうとおもいきや、彼は想像以上にゆっくりと歩いているように感じられた。わたしはわけもわからず手を伸ばした。中島健人さんが身にまとっていたきらびやかな衣装の、きっと右肩のあたり、ラメのざらついた印象が右の掌に残っている。それからしばらく何も聞こえなかった。何も見えなかった。唇がわなわなと震え、しずかに涙が出てきた。


え???? こんなことある??????????


今でもおもいだすと放心するし、ハッと我に返ると動悸がしていて、そのときの感覚を反芻しようとするとまず目頭があつくなる。わたしの情緒は完全にバグってしまったようで、何を見ても何を聞いてもすぐさま中島健人に結びつけてしまう。あまりにも深刻に中島健人のことを考えているものだから、きのう歯医者にいったとき「ナカジマさん」という見ず知らずの誰かが名前を呼ばれているのにおもわず反応して立ち上がってしまった。どうかしている。

ファンサをもらうためにすさまじい情熱を捧げているわけでもなかったし、どちらかといえば接触は苦手だ(だからこそ、推しと一定の距離をとりながらあんしんして活動できるジャニーズがすきなのだという面もある)。中島健人さんのことは愛しているけれど、熱烈な恋愛感情ではなく「敬愛」に近いニュアンスだと自分ではおもっている(わたしは異性愛者ではない)。

そんなわたしが中島健人さんにファンサをもらって何故バグってしまったのか、何点かおもいあたることを書き記しておく。もちろん未だ情緒は混乱しているしろくに思考を整理もできていないのだけれど、明日からの日常を生きのびるために、中島健人さんへの感情を、中島健人さんとの関係を、すこしでもことばにしておきたい。


【バグった理由1:中島健人生きてた】

まず、中島健人さんが生きているという圧倒的な現実に打ちのめされた。日常生活でいつもあまりにも自然に彼のことを考えているので、「中島健人、ほんとに生きてる?? わたしが妄想のなかで生み出した理想のアイドル概念では???」という疑念にとらわれがちなのだが、毎回現場に入るたび「中島健人、生きてた……ほんとうに生きている……」と新鮮に感動してしまう。

特に今回はおどろくほど間近で中島健人さんのことを見つめてしまった(あまつさえふれてしまった)ので、中島健人さんが血の通うにんげんであること、生身のからだがあることをまざまざと突きつけられてもう逃げようがなかった。生きているのだ。にんげんなのだ。それが中島健人とわたしの唯一の共通点だった。


【バグった理由2:わたし中島健人じゃなかった】

何を言っているのかとおもわれるかもしれないが、わたしは至極真面目に、大真面目に考えた。生きている中島健人がわたし(がいたあたり)に目線をくれて、生きている中島健人にわたしの手がふれたということは、少なくともわたしは中島健人ではない。わたしと中島健人は完全に別個のにんげんなのである。

もちろんこんなことは考えるまでもない事実なのだが、このブログでも再三書いている通りとにかくわたしは中島健人になりたいのだ。中島健人のように、ではなく、中島健人そのものになりたかった。けれども今回の接近を通じて、わたしは「自分が中島健人ではない/にはなれない」ことを、当の中島健人さんから言い渡されたような心地がした。つまり、中島健人と自分の関係が「アイドルとファン」であることを、中島健人さん本人に定義されたようにおもったのだった。


【バグった理由3:認識されたくない自分VS限りなく接近したい自分】

先に書いた通り、わたしはファンサをもらうことに対して積極的とは言えないスタンスをとっている。接触イベントも苦手だし、だからこそデビュー直後のSexy Zoneのことは正直遠巻きに見ていた。要するに、わたしは透明人間になりたいタイプのおたくなのだ。認知されたくない、認識されたくない、視界に入りたくない。

しかしその一方で、わたしの根幹にある欲望は「中島健人になりたい」である。これはことばを変えれば「中島健人に極限まで接近したい」ということになるだろう。2回目のセンター席に入ったとき、通路をこちらに向かって颯爽と歩いてくる中島健人さんのすがたを視界にとらえながら、彼に認識されたくない自分と、彼に限りなく接近したい自分が葛藤した。けれどもそれは一瞬だった。わたしは熱に浮かされたようにそろそろと手を伸ばしていた。


【バグった理由4:それでも中島健人になりたい】

中島健人さんと自分が「アイドルとファン」という関係であるからには、わたしは中島健人さんそのものにはなりえない。わたしにとって「中島健人」という特別な場所を占められるのは、あの中島健人さんただ一人で、たとえわたし自身であってもその場所に入り込むことはできないのだ。しかしそれでもやはり、わたしは中島健人さんになりたい。

だって中島健人さんはすてきだ。アイドルという仕事へのひたむきな姿勢、当意即妙な切り返し(上品さと俗っぽさの絶妙なバランスを保っている言語センス)、とろけそうに甘い歌声、くしゃくしゃの笑顔、実はちょっとへたれな性格(そしてそんな自分を乗り越えるための不断の努力)、年齢や性別にかかわらずひとりひとりのファンとのコミュニケーションを大切にしようという意志、そしてわたしが世界中のにんげんのなかでいちばんだいすきな顔。ああ、中島健人になりたい!


まとまりがないまま雑然と書き殴ってしまったけれど、とにかくわたしは矛盾のかたまりなのだ。中島健人になりたくて、中島健人に近づきたくてしょうがないのに、ひとりのファンとしての自分が彼に知覚されるのは困る。けれども世界中の誰よりも中島健人のことを敬愛していて、恋愛感情とも性的欲望とも異なる込み入った感情を向けてしまっている。

説明しても理解を得られることの方が少ないだろう。このブログでも以前書いたけれど、「どうして男が好きじゃないのにジャニーズが好きなの?」と未だに問われたりもする。けれども、そんな外野は放っておけばいいのだ。100人ファンがいれば100通りの愛し方があり、100通りの愛を、中島健人さんは――Sexy Zoneは受け止めてくれるのではないだろうか。

彼らの掲げる「セクシー」とは、その「100通りの愛」を肯定することだとわたしはおもう。ファンの呼び名が"Sexy Girls"から属性を限定しない"Sexy Lovers"にアップデートされたように、ひとりのファンも、1つの愛もとりこぼすまいと、セクシーは進化し続けていく。

だからわたしは彼らを追い続けるために、中島健人に少しでも近づくために、あしたからの日常を生き延びなければならない。ノーセクシー、ノーライフ、セクシーサンキュー!

中島健人さんの25歳のお誕生日によせて

中島健人さん、25歳のお誕生日おめでとうございます。ことしもあなたのお誕生日をお祝いできてとてもうれしい。

実は今まで、中島健人さんのお誕生日によせて何かまとまった作文をしたことはありませんでした。というかこのブログを始めるまでは「中島健人が好きだ」「中島健人になりたい」「中島健人に憧れてジャニーズに入るジュニアになりたい」というじぶんの感情や欲望をおおっぴらに書いたことすらなかった。そもそも、いろんな矛盾を抱えながらジャニーズを好きでいるじぶんと上手く折り合いがつけられずにいたのです。

でも、24歳の――一生に一度しか出会えない24歳の中島健人とともに過ごした一年はわたしにとって特別な一年だった。矛盾だらけの、むしろ矛盾しかないじぶん自身のおたくとしての姿勢も含めて、すこしずつ認められるようになってきた。そして、これまでとは生活全体が大きく変わるような選択もできた。中島健人さんに背中を押してもらったからです。

だからきょうはお誕生日にかこつけて、中島健人さんへの感謝と愛情と尊敬の念をひたすら綴ってみたいとおもいます。

24歳の中島健人さんが特別だったというのは、もちろん他のどの一年もすべて特別なんだけれど、わたし自身の生活の変化によるところもある。修士課程を出て再就職を果たすも、職場のにんげん関係(というか職場の環境すべて)に打ちのめされて適応障害になったり、修士でお世話になった指導教授といろいろあって訣別したり、初めて実家を出てともだちと暮らし始めたり、いろいろなことがあった。そんななかで、わたしの目からみた24歳の中島健人さんにも、迷いや弱さや葛藤を感じる瞬間がたくさんありました。

たとえば昨年のツアー期間中。わたしは例によって5月の横浜アリーナ公演にいってきたのだけれど、その時期中島健人さんはツアーの公演があり、映画『ニセコイ』の撮影があり、その他の仕事も数多くこなしながらぜんぜんお休みがないようだった。当時中島健人さんは『ニセコイ』の役作りで糖質制限をしていて、体脂肪が落ちて筋肉質のストイックなからだになっていることはわかっていたけれど、可憐さと儚さに物凄い勢いで拍車がかかり、「このまま風にさらわれてどこか遠くへ行ってしまうのではないか……」という詮無い妄想をしてわたしは勝手に涙ぐんでいた。

中島健人さんはまさしくトップオブアイドルです。誰もが認める完璧なブランディング、ファンとの繊細なコミュニケーション、常に期待以上の質を誇るパフォーマンス。一見「完璧」に見える中島健人さんだけれど、失敗をしたり、誰かを傷つけたり(あるいは傷つけられたり)、迷ったり、悩んだりするひとりのにんげんであることに、わたしは昨年ようやく気が付いたのだった。そして中島健人さん自身、24時間テレビをしめくくる挨拶でそのことをのたまっていた。

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24時間テレビというコンテンツそのものを唾棄すべきものだと考えているにもかかわらず、わたしは24歳の中島健人さんを見届けたいがために武道館に赴きました。上の記事で書いているように、障害や難病をもつひとたちの人生を「感動する物語」に仕立て上げて安全なところから消費しようとする番組の趣旨にわたしは批判的な立場です。けれども、そんなコンテンツに動員させられている中島健人さんはじめSexy Zoneのすがたに引き裂かれるようなおもいを抱きながらも、「じぶんの弱さを認められない弱さ」について語る中島健人さんの涙をみて、武道館に来た意味があった、とおもった。

中島健人さんがあのときご自身のことばで自らの弱さについて語ろうとおもったこと、語ったこと、それに至る思案や葛藤のすべてが愛おしく、その選択のすべてがとてつもなく尊いものだった。

「ときには弱音を吐いてほしい」とおもうことも、「無理をしすぎないでほしい」とおもうことも、「楽しんでアイドルをしていてほしい」とおもうことも、おたくの――というかじぶんのエゴに過ぎないのだ、とわたしは今更ながらに気付いたのです。それは先日嵐の活動休止の報にふれたとき、痛切に感じいたことでもある。

中島健人さんがなんであるかを決められるのは常に中島健人さんだけです。中島健人さんがアイドルでいたいとおもっているから、アイドルでいることを選び続けているからこそ、わたしは中島健人さんのファンでいられる。中島健人さんはファンとの相互コミュニケーションをとても大切にしてくれるアイドルだけれど、であるにしても、中島健人さんがどうあるかを決めることができるのは中島健人さんだけ。だからこそあの夏、中島健人さんが武道館のステージでじぶんの弱さをことばにして語ってくれたことが、その場に立ち会えたことが、わたしはすごくうれしかった。

中島健人さん、昨秋から冬にかけてはドラマ『ドロ刑』に主演をされました。撮影中、忙しい合間を縫って14日発売のニューアルバム『PAGES』に収録される最新ソロ曲「Beacause of 愛」の製作もしていたとのこと。

今回のソロ曲にはネガティブな要素、嫉妬や葛藤などもこれまでにないかたちで、けれども中島健人さんらしく表現されていて、発売前でまだ全貌はわからないけれど、また表現の幅がぐっと広がったなあ……と、おたくとしてうれしく、誇らしくおもっています。『ドロ刑』で演じた斑目勉くんも、中島健人さんがご自身の「弱さ」と向き合ったからこそ人間味あふれる愛らしいキャラクターになったはずです。この現場では、中島健人さんは主演とはいえ演技の先輩たちに囲まれていた。「最年長」という肩書と責任のない状態で、諸先輩方に可愛がられながら伸び伸びとお仕事をしている様子が伝わってきて、ドラマをみているだけのわたしもとてもたのしかった。

中島健人さんには健やかであってほしい。美味しいごはんをたらふく食べて、おもいっきり好きなことをしてほしい。その一方で、アイドルとしてとことんあなたのおもう道を突き進んでほしい、という気持ちもある。

昨年はジャニーズ事務所所属のアイドルに関する様々なできごとがありました。彼ら――そしてジャニーズという歴史、ジャニーズという様式を愛するにんげんのひとりとして、彼らを好きでいること自体が、彼らの人生や生活から無数の選択肢を奪うことに繋がっているのではないかと考えもしました。それは常にわたしの意識の一隅を占めています。わたしがおたくとして矛盾だらけの存在であることは冒頭にも書いたとおりだけれど、わたしはおたくであるじぶんの言動に罪悪感を抱きながらも、同時に「アイドルでいる」「アイドルをする」という選択した彼らのことを全力で肯定したい、というおもいがある。

特に中島健人さんに対して、わたしは覚悟のようなものを持っています。中島健人さんがいつか「アイドルをやめる」という選択をしたとき――そんなときがくるしたら――背中を押せるおたくでいたい。だからこそ、中島健人さんが「アイドルでいる」という選択をし続けているあいだは全力でついていこう、と。中島健人さんが最高のパフォーマンスをしたときは、ことばを尽くしてその素晴らしさをたたえたいし、中島健人さんが何か間違ったことをしたとおもわれたときには、わたしが止めるという気概をもっていたいのです。中島健人さんご自身の覚悟や意志の強さに比べたら、ちっぽけな決意だとおもうけれど。

決意といえばもうひとつ。「アイドル業」に全力をかける中島健人さんを追いかけているうちに、わたしはじぶんにも中島健人さんにとっての「アイドル業」のような何かがほしいと感じるようになった。もちろん中島健人さんにとっての「アイドル業」レベルのものを簡単に見つけられるはずないし、比べるのもおこがましい話ではあるのだけれど、勝手に中島健人さんと生きている心持ちになって日々を生き延びている身なので、おゆるしください。

そんなこんなで、この春新たな仕事につくことにした。中島健人さんのお誕生日である今日、3月13日付で、いまの職場に退職届を出そうとおもう。

昨年の夏ごろからだらだらと転職活動をはじめ、何度か面接に進むものの「これだ!」という決め手に欠けて辞退……という一連を数か月繰り返した末、やっと決まりました。初めての業界で、初めてのチャレンジです。けれどもある意味ではずっと志していた場所で、じぶんを隠さずにじぶんの信条に沿って働くことに近づける環境がある。そうおもって決めました。

単純に業務量で比較すれば正直いまの職場の何倍も大変だとおもうし、繁忙期はほとんど推し事もできない――つまり中島健人さんのイベントがあったとしても、行けない可能性が高いです(5月にあるツアーの横浜アリーナ公演はしんでもいく、とすでに新しい職場にも明言しているものの)。

それでもその環境でチャレンジしようとおもえたのにはいろいろな理由があるけれど、やっぱり「中島健人さんに恥じないにんげんでいたいから」。これが大きい。じぶんの信じるものというと大袈裟だけれど、じぶんの納得できる場所で、じぶんの良いとおもうものを作って、一度しかない20代の時間を悔いのないように走り抜けたい。弱気でものぐさで小心者なわたしがそんな風におもうようになったのは中島健人さんがいるからだし、中島健人さんがいなければ、わたしはとうにダメになっていたはずです。イヤなことにイヤと言えず、好きなものを好きと言えず、じぶんの首をしめながらだましだまし生活していくしかなかったでしょう。今以上に。

中島健人さん、いつもわたしを慰めてくれて、また励ましてくれてありがとうございます。25歳になった中島健人さんが、どんな表情をみせてくれるのか。どんなものに憧れて、どんなものを目指して、どんなことばを投げかけてくれるのか。そのすべてをたのしみにしています。まずは13日発売になるPAGES、さらに28日の砂の器(この作品にはおもうところもあって別途作文をする予定ですが)、5月にはまた横浜アリーナでお会いできるはず。あなたがいるからがんばれます。セクシーハッピーバースデー!そしてこころからのSTY。

2018年推しごとまとめ~愛は地球を救わないけど推しはわたしを救う~

職場の仲良しなおねえさんと「闇部」を結成している。これは何かというと、「世の中の"普通"を受け入れられない/受け入れたくないというこころの闇を分かちあう部」だ。当該おねえさんとはしばしばランチにいったり、営業先からの帰りの電車で語らったりして、お互いの「闇」をすこしずつ開示しあい部の結束を強めている。

この「闇部」の活動を同期入社の親しい友人に話すと、友人は首をかしげた。「なめこちゃん(たち)が闇だとしたら、そこに光はあるの? あるとしたら、それはなんなの?」と。

愚問である。それは「推し」だ。

2018年はこれまでのどの年にも増して、「推し」のきらめきに救われた一年であったようにおもう。何しろことしはいろいろなことがあった。修士論文を書いた。大学院を出て、再就職した。再就職先では心身のバランスを崩し、適応障害になった。大学院に絶望するようなできごともあった。その間さまざまなひとと感情的にもつれた。とことんこじれ、とことんしがらんだ。

打たれ強くもなければ辛抱強くもないわたしが、なんとかこの一年を無事に――いや、無事ではないものの大きな問題なく終えられるのは、ひとえに推し各位のおかげである。というわけで、推しへの感謝を込めて2018年の推しごとを振り返ってみる。

なめこちゃんの2018年推しごとまとめ】※ジャニーズ編
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5月3日 SEXY ZONE repainting Tour 2018 昼・夜公演
5月4日 SEXY ZONE repainting Tour 2018 夜公演
5月5日 SEXY ZONE repainting Tour 2018 夜公演
5月6日 SEXY ZONE repainting Tour 2018 昼公演
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4日間で5公演……。貯金を大学院の学費で使い果たし、再就職先の4月の初任給は雀の涙であったにもかかわらず、よくいったものだとおもう。まあそれだけ切迫していたんだろう。中島健人に会わないとしぬ!!!!!とおもっていたのを覚えている。

先に「推しは光」と書いたものの、Sexy Zone中島健人さんはわたしにとっていわば北極星のような存在である。わたしがどこにいようが、誰と何をしていようが、夜空を見上げれば常に同じ場所でかがやいている。どんなときでもいつも同じところで光を放っているのに、手を伸ばしても決して届かない。それが心強く、頼もしいと同時に、切なく、やるせないのだ。

そんな中島健人さんと横浜アリーナで過ごした濃密な時間が、わたしをきょうまで生きさせたと言っても過言ではない。セトリも良くてとにかく楽しかったし、中島健人さんはとびきりチャーミングでこの上なくセクシーでだった。

※ステージの端から端まで全力で駆け抜ける中島健人さんのすがたをみて感動に打ち震えた当時のわたしは、「このまま背中に羽が生えて飛び立ってしまうのではないか……」というメモを残していた。

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6月30日 嵐のワクワク学校2018 夜公演
7月1日 嵐のワクワク学校2018 昼公演
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推しが座って授業を受けている様子をオペラグラスでこころゆくまで鑑賞できるイベントこと、嵐のワクワク学校。ことしは二日間入学してきた。中島健人さん、ひじょうに姿勢がよく、おみあしをくみかえる動作も頬杖をついて思案する仕草も優雅ですてきだった。ほれぼれとするほど。

職場の同期、塾講師時代の教え子に頭を下げて申し込みに協力してもらい、意地と情で手に入れることができたチケット。ほんとうにありがたい。「嵐の面々に若干持て余される中島健人」(二宮和也さんには他のメンバーより中島健人さんを料理する適性があるものの)が三度のご飯よりだいすきなわたしにとって、大変たのしいイベントだった。

※このイベントでは「ふまけん!!菊池風磨さんと中島健人さん、横から見るとからだの厚みがぜんぜん違う!!エモい!!エモすぎる!!ふまけんさいこう!!」という限界きわまる走り書きが手帳に残っていた。

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8月5日 夏祭り!裸の少年 HiHi Jets
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8月のわたしは狂っていた。何に狂っていたのか? 髙橋優斗さんとの出会いにである。何故狂っていたのか? 髙橋優斗さんと出会ってしまったからである。

Sexy Zoneも出演している(た)番組にも出ていたし、HiHi Jetsのことは知っていた。とはいっても、春先の公演からメンバーがひとり増えたらしいね~といった程度の知識で、まったくの門外漢だった。それがひょんなことからEXシアターに行くことになり、気づけばあれよあれよという間に沼に落ちていた。

このグループ、5人組アイドルグループとしてメンバーの個性やスキルの布陣が完璧すぎるほど完璧なのだ。完成度の高い、それでいて今後の伸び代を感じさせるようなパフォーマンスは圧倒的。

そのグループの最年長でポンコツキャラの抜群に顔がいいメンバーが、髙橋優斗さんなのである。しかも私服がダサい!さらに尊敬する先輩は二宮和也二宮和也だというではないか!

どれだけズボラだろうが、どれだけ無神経だろうが、どれだけ私服がダサかろうが、ステージの上では全力でアイドルをする、ステージの上では誰よりもかがやいているアイドルに目がないわたしは、髙橋優斗さんから目が離せなくなってしまった。

※「だぁ~くねすどらごん」こと、メンバー紹介ラップも逸品です。これはわたしが知っているジャニーズグループのメンバー紹介ラップのなかでも一、二を争う名曲だとおもう。Youtubeの公式チャンネルで動画がアップロードされてから毎日通勤電車でこればっかり聞いていて、いまでは歌詞を暗記している。

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8月11日 King & Prince First Concert Tour 2018
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8月のわたしはやはり狂っていた。HiHi Jetsの翌週はキンプリのファーストツアーだ。ティアラ(キンプリファンの愛称)の母と二人で横浜アリーナにいった。すごかった。近かった。生きてた。泣いた(Prince Princessで)。

え、これが本当にデビュー後初コンサートなの?というくらい演出も凝りに凝っていた。準備期間も短く大変だったはずなのに、横浜アリーナをめいっぱい使って縦横無尽に駆けまわるKing & Princeのすがたに胸がいっぱいになった。

※母もわたしもPrince推しで当日は二人して神宮寺勇太さんのうちわをもっていたのだけれど、ほんとうにごくごく目の前に平野紫耀さんが10秒ほど滞在していた時間があり、「ヒッ」て母が息を飲む音が聞こえた。暴力的に美しかった。

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8月25日 夏祭り!裸の少年 東京B少年
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8月のわたしはまだまだ狂っていた。HiHi Jetsの次はもちろん東京B少年である(先日Sexy美少年にグループ名が変更になり、界隈に激震が走った)。

東京B少年(当時)はHiHi Jetsに比べると年齢的にも若く、フレッシュな魅力が売りのグループである。EXシアターで通路から髙橋優斗さんに見下ろされたときの衝撃(興奮しすぎてほとんど吐きそうだった)に比べれば、心身に大きな動揺が走るような出来事はなかったものの、嵐の「感謝カンゲキ雨嵐」を歌うとき浮所飛貴さんと那須雄登さんがバイオリンを弾いていたのにはぐっとくるものがあった。

特に浮所さんは、わたしの北極星こと中島健人さんを尊敬してやまない、天真爛漫で愛らしいアイドルだ。ふだんはお茶目な印象だったけれど、パフォーマンスの随所から「ああ、これは中島健人を尊敬しているにんげんの仕事ぶりだ……」ということが感じられ、わたしは胸を打たれた。

中島健人を愛しているがゆえに、憧れているがゆえに、同じように中島健人を想って中島健人を追いかけているにんげんに異様なまでの親近感と嫉妬と羨望を抱いてしまうのである。

わたしも浮所さんになりたい。浮所さんのようになりたい。ジャニーズジュニアになって、「尊敬する先輩はSexy Zone中島健人くんです!」「健人くんはもう僕にとっては神のような存在です!」なーんてジュニアにQ(ある番組の企画)で言ってみたかった。

※彼らの持ち歌である「僕らはMysterious」は10代の男性アイドルが歌うのに打ってつけな一曲なんだけれど、この曲を30代、40代になった彼らが歌い踊るすがたを見てみたいなあ、という気持ちにもさせられるから、すごい。

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8月26日 24時間テレビ41 人生を変えてくれた人(番組観覧)
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8月のわたしの狂乱は、この番組を武道館で観覧していたときがピークだっただろう。わたしの生きる希望、北極星であるところの中島健人さんが、Sexy Zoneが、あの24時間テレビでメインパーソナリティーをつとめる……。

むかし嵐を推していたときもそうだったから、こころの準備ができていなかったわけじゃない。ジャニーズのおたくにとって、「24時間テレビをはじめとする軽薄で、構造的差別に加担する番組に自担が出演してしまう」という問題は、ある意味避けがたいものなのだ。

それを承知の上で、その葛藤を引き受ける覚悟をもってジャニーズを好きでいるつもりだったけれど、いざ中島健人さんが24時間テレビに出るとなると、わたしはやっぱり平静ではいられなかった。ついに来たかとおもった。はやく終わってくれと願った。にもかかわらず、番組観覧に当選してしまった。すさまじい倍率だったはずなのに。そしてわたしはのこのこと武道館に出向いた。

どんなに許せなくても、どんなに不愉快でも、24時間テレビのような「多数派が安心するためのコンテンツ」に、中島健人さんがどのように向き合うのか、この目で見届けたいとおもってしまったのだった。

いや、そんなことは全部言いわけに過ぎず、わたしはただ単に中島健人さんに会いたかっただけかもしれない。

仕事でいろいろあって、たのしい気持ちがわからなくなっている時期だった。朝7時ごろには武道館に入って、それから夜の9時ごろまで。途中で休憩などがあったことを差し引いても、恐らく12時間くらい中島健人さんと同じ空間にいて、彼の立ち振る舞い、彼のことばを心身に浴びて、わたしは引き裂かれそうなおもいを感じていた。

中島健人さんと24時間テレビ(とわたし)については、このブログでもいろいろと書いている。
lvknty133.hatenablog.com

さまざまな矛盾した欲望や思考がいりまじりつつも、この日の体験を通じてひとつ確かになったことがあった。
愛は地球を救わないが、中島健人はわたしを救う。24時間テレビのエンディングで、中島健人さんは涙ながらに「じぶんの弱さをさらけ出せないという弱さ」を語っていた。そんなこと、以前の彼なら決して言わなかっただろう。誰よりも完璧なアイドルたらんと常に全力で走り続けた中島健人さんが自身の弱さを口にする――そのすがたに、わたしは励まされた。

中島健人さんは変化し続けている。わたしも彼に恥じないにんげんでありたい。中島健人さんがアイドルでいてくれる限り、わたしは彼を追いかけ続けていきたいとおもった。

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9月22日 DREAM BOYS
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怒涛の8月が終わり9月。これ以降チケットの神様に見放されたわたしは、じぶんでも気づかぬうちに2018年の現場納めを帝国劇場でしていたのだった。実はこれが初めてのドリボで、目当ては無論髙橋優斗さんである。

ものすごくざっくりとあらすじを紹介すると、主人公(玉森裕太さん)の弟役として出演していた髙橋優斗さんはどうやら難病をわずらっているらしく、兄の玉森さんは弟の治療費を稼ぐためにいろいろ奔走するのだ。この「いろいろ」が少々ややこしくまあほんとうにいろいろあるのだけれど、1幕の終わり際で確か髙橋優斗さんの病状が悪化し、不穏な気配を残して幕間に入ったのだとおもう。

わたしは焦った。「ゆうぴ(※髙橋優斗さんの愛称)さんを救うためにお金がいる!」と。そして物販に可能な限り早歩きで向かった。髙橋優斗さんがうつっている舞台中の写真などの公式グッズを目に入る限り買った。「微力でも、何もしないよりマシだ」と給料日前でろくに手持ちがなかったにもかかわらず、生活費用にとってあったお金を投げ出した。相変わらず狂っていたのである。髙橋優斗さんに。

※予備知識が何もない状態でいったので、終幕したときには「うそ!?そんなことある!!?」と物語の展開に呆気に取られていたものの、「やっぱりジャニーズらしさ満点のお話だったなあ」と間もなく納得した。


……と、いうわけで以上です。このブログを更新すること自体久しぶりで、どんな風に書いていたのかまったくおもいだせなかったけれど……。でもそういえば、ブログを始めたのもことしからだったんだなあ。現場が集中していた5~9月にいっぱい記事を更新していたんだね。いままでひとりでおたくをしていて、推しへの感情をまとまった文章にする機会もなかったから、あらたにこういう場所をつくることができて良かったのかもしれないな。推しについて書くことを通じて、つながったひともいる。

恐らくこのブログの年内の更新はこれが最後。お付き合いいただき、ありがとうございます。来年もせいいっぱい中島健人さんを追いかけていきます。ブログもたくさん書けたらいいな~。みなさんも来年、推しとすてきな一年を過ごせますように。
※わたしの現場はじめは1月のJOHNNYS' King & Prince IsLANDの予定です。

しんどいオシゴト

ユニクロのブラタンクトップを着るようになってから、ほとんどブラジャーをつけることがなくなった。締めつけもないし、着るときも楽ちんだし、ほんとうに良いことだらけだ。強いて言うなら、一般的な女性用の下着みたいに上下セットになっているわけじゃないから、下にはくものを選ぶ手間がある。今日のパンツはどれにしようかなあ、なんて布団のなかで悶々としているうちに1時間も2時間も過ぎていたりする――と、いうのはさすがにおおげさだったかもしれない。

目が覚めてからなかなか起き上がれなかったのは、今日はく下着を決められなかったからだけじゃなく、仕事に行きたくなかったからだ。いや、それも的確じゃない。「仕事に行きたくない」というハッキリした輪郭すら持たない茫洋とした、しかし心身をたしかに貫通する絶望感。

わたしは適応障害と診断された。

修士課程を出て、いまの会社に就職したのが今年の4月。いろいろあって入社後数ヶ月で部署を異動することになったのだけれど、それからわたしの業務量は倍以上になった。でも、業務量が増えたことはさほどしんどくなかった。やりたい仕事をやりたいようにやらせてもらっていたし、部署のリーダーもわたしの仕事を過分に評価してくれている。修士課程に入るまえお役所で勤めていた経験があるだけに、給与や待遇面に若干の不満は感じたものの、仕事内容は面白いとおもっていた。


問題は、おなじ部署の先輩(いちおう役職者)だった。この先輩が厄介なひとで、とにかく無邪気なんである。無邪気に仕事を忘れ、無邪気に人を差別し、無邪気に誰かの手柄を奪う。

たとえば、その先輩が入社して数ヶ月しか経っていないわたしの目から見ても明らかに不備のあるデータを客に出そうとしていたことがあった。「●●の資料なんですけど、送るまえにもう一度ご確認いただいた方が…」とわたしが言いかけると、「だよね~! わたしもそう思ってた!」という調子で遮られる。「そう思ってた」なら新人に指摘されるまえに自主的にやってほしいものだけれど、こんなことが一日に何回も起きるのだ。かつ、結局そのデータの修正も先輩はひとりでこなすことができず、最終的にはわたしが手を入れて提出することになる。にもかかわらず、その先輩は上司に対するアピールだけは絶対に忘れなくて、「大変なデータ量だったけれど納期以前に完璧な状態で出せました」と、まるでじぶんひとりの手柄かのように報告するのだった。

また、その先輩は相手の性別によってあからさまに対応を変えるタイプの女性で、わたしのような生意気な同性の後輩にはぶっきらぼうに接する一方、異性の上司には必要以上に媚を売る。媚を売られた上司の方も、「確かにアイツは仕事ができるとは言えないけれど、可愛いところもあるんだよ」と満更でもなさそうな様子でわたしをたしなめにかかる。その二人が「エルジービーティー」について冗談めかして言い合いながら笑っている場面をみて、わたしは反吐が出そうだった。

職場のひと、友人、さまざまなひとにわたしは愚痴をこぼした。けれども、「仕事ができない上司や先輩なんかいくらでもいる」「差別的なにんげんが無邪気というのはありふれたはなし」と、そんな風に言われるたび、この身が切り刻まれるおもいだった。特にこたえたのは、部署の責任者から「きみは仕事ができすぎる、やりすぎる。他人の分まで働く必要はないし、そんなに頑張ったってじぶんがつらくなるだけだよ」と、言われたことだった。


同じ立場の同僚に処世術のアドバイスとして言われるならまだしも、部署を束ねる責任者にそれを告げられるのは、かなりキツいものがある。そのときのわたしには、「おまえのことは見殺しにする」という死刑宣告のように響いた。問題のある部下(しかも社歴の長い役職者)を野放しにするなんて、マネージメントの放棄もいいところじゃないか。働けば働くだけ損をする。そういう仕組みの組織なのだった。

いくら仕事の内容が面白いとはいえ、わたしは段々この会社で働いている意味がわからなくなっていった。例の先輩に話しかけたり、話しかけられたりするたびに動悸がするようになった。職場にいる日は午前中断続的な吐き気に襲われ、家にいるときも突然涙が出てきたり、楽しいことをしていても気分が上がらなくなったりし、文字通り身も心もぼろぼろだった。

「仕事はできないけれど可愛げがあるから」という理由で先輩を評価する上層部も、その「可愛げ」とやらを隠れ蓑に上層部には良い顔をし、わたしには仕事を押しつける先輩も、「仕事ができすぎて可愛げがない」と言われてしまうわたし自身のことも、ぜんぶがぜんぶイヤになってしまった。しんどい。先輩のようになりたいとも、こんな上層部に評価されたいともおもわないけれど、この会社を飛び出していくだけの体力も気力もないじぶんがとにかく情けなく、恥ずかしかった。


しかも、つらいのは「お仕事」ばかりではない。「推し事」もしんどかった。すでに何度かこのブログでも書いているけれど、わたしの生きる希望こと中島健人さんの所属するSexy Zoneさんが、今年の24時間テレビのメインパーソナリティーを務めていたのだった。
lvknty133.hatenablog.com

「障害」や「難病」をげびた感動コンテンツにしたてあげる番組だと、散々文句を言っていたにもかかわらず、わたしはあろうことかこの番組の観覧に参加してしまった。2ヶ月ぶりの中島健人さんの実在に胸打たれる一方で、引き裂かれるようなおもいも感じていた。思想信条に真っ向から反しているコンテンツを、推しが出ているからというだけの理由で、「鑑賞」してしまったじぶんを許せそうになかった。そして、ちょうどそれくらいの時期から、わたしはまた中島健人さんにふれるのがつらくなってきた。

「また」と書いたのは、これまでも何度か同じような発作に見舞われた経験があるからだ。好きであるがゆえに――この上なく愛しているがゆえに、その対象を避けてしまう。恐らくわたしには生来そういったところがあって、最新の情報を常に追いかけられるわけでもないし、おたくのコミュニティに居場所を見つけられたことはほとんどなかったから、普段からごくマイペースに「推し事」をしているのだけれど、発作が起きるとこの傾向がエスカレートする。

中島健人さんをお見かけすると、やっぱり動悸がする。わけもわからず涙が出そうになる。ご尊顔を見つめていても、数秒も持たずに画面や誌面をおもわず閉じてしまう。ご出演されたワイドショーも、ご紹介された新曲も、毎日更新してくださっているジャニーズウェブ内のブログ(通称KTT)も、どうにもふれられない。10月からはドラマが始まる。12月には主演映画もある。これからますますお仕事に励まれていくであろう中島健人さんのかがやかしいおすがたを、中島健人さんのきらめきを、いまのわたしでは受け止めきることができない。

中島健人さんが生きる希望なのに、中島健人さんが生きる目的なのに、その中島健人さんにふれることすらもしんどくなってしまう。じぶんの生活があまりにもひどいありさまで、これでは中島健人さんに顔向けできない、とおもうからなのか。それとも、中島健人さんという圧倒的な存在に打ちのめされて、じぶんの生活を立て直す意欲をそがれてしまうからなのか。あるいは、中島健人さんの放つ強すぎる光に飲み込まれて、とめどない自己嫌悪に陥ってしまうからなのか。

じぶんでもわからない。けれどもひとつ言えるのは、中島健人さんなしの人生など、わたしにはありえないということだ。


いまはピーク時に比べて幾分状況が好転している。職場の責任者には例の先輩といっしょに働くことがむずかしいことを率直に訴え、診断内容も伝えた。根本的な解決には至っていないものの、ある程度は配慮されるようになった。とはいえその一方で、この環境でこれ以上は望めないのだという諦念も得た。これからどこでどうやって働き、誰かと生きていくのか、あるいはひとりで生きていくのか、そういうことを考える余裕はまだない。一日一日をやり過ごすのに精一杯。好きなひととの約束は守れないくせして、好きでもないひととは軽薄にデートを重ねたりしてしまう。

わたしはじぶんのしんどさを言い訳に、他人に迷惑行為をしまくっているダメなにんげんなのだった。好きなものを大切にできないし、嫌いなものを拒めない。おまけにブログの記事にオチひとつつけられないのだった。中島健人さんの目にこんなわたしはどう映るだろう。たとえオシゴトのつらさに喘いでいたとしても、せめて中島健人さんに恥じないセクシーな生きざまを目指したい――と、買ったはいいもののなかなか開けない「装苑」11月号(中島健人さん掲載号)をまえにしておもうのだった。

それでも夜は明けるけれど わたしにとってはツラいんだよな

そこそこ付き合いの長いおんなともだちに「あなたと恋人になりたい」と言われた。わたしは困った。その子がおんなのこだからとか、その子のことを意識していなかったからとか、そういう理由で困ったのではない。むしろわたしはその子のことがすきだった。その子とどうにかなれればいいな、とおもったことも一度や二度ではなかった。だからこそ、困り果ててしまった。「すき」と言われた瞬間、わたしはおおきな冷気のかたまりを飲み下したような気分になった。つまり端的に表現すると、わたしは冷めた。一瞬で。その後彼女と会うのが途端に億劫になって、連絡もだんだん返せなくなった。

最終的に「別れよう」と切り出したのは彼女のほうだった。交際していないのに別れるも何もないじゃないか、とおもわれるかもしれないけれど、わたしがともだち関係においても「別れる制度」を導入していることは以前から彼女にも伝えていたので、彼女は律儀にも、わたしの流儀に則って別れるための手続きを踏んでくれたのだ。

彼女と別れてから、しばし呆然としてしまった。薄々感づいていたことではあるけれど、わたしはやっぱりダメだった、とおもった。何がダメかというと、ひとにすかれるのがダメなのだ。

「恋愛」的なニュアンスで、ひとに好意を寄せられることがめっぽう苦手――というより、向いていない。じぶんが誰かを恋愛的な意味ですきになることはあるけれど、誰かに恋愛的な意味ですかれることには嫌悪感を抱いてしまう。それまでどんなに魅力的に見えていた相手だったとしても、じぶんに対して恋愛感情のようなものを向けている、とわかってしまった瞬間、別人のように感じてしまう。すべてが色あせて輝きをうしない、べたべたと肌にまとわりついてくる粘り気のつよい液体に沈められたような、居心地の悪さ。そして息苦しさ。

ひとにすかれるのはしんどい。

「じぶんを愛せないと誰のことも愛せない」とか、「振り向かない相手ばかりをすきになるのはじぶんを愛せていないから」とか、そういう余計なことを言ってくるやからというのはどこにでもいて、かつて幾分いたいけな若者だったわたしはそれらのことばを真に受けて、「そうかあ、わたしはじぶんを満足に愛せていないのだなあ」とか、「じぶんを愛せないじぶんのことを誰かに愛してもらったら、わたしもじぶんを愛せるようになるのかなあ」とか、RADWIMPSの歌詞ばりに恥ずかしいことを素直に考えたりもしていた。いまおもえば、目が覚めてよかったの一言に尽きる。

四半世紀とちょっと生きてきて、わたしもすこしはじぶんのことをわかるようになってきた(まだまだ得体の知れないところも多いけれど)。わたしは別にじぶんのことが嫌いではない。ときどき嫌になることはあるものの、致命的に憎んでいるというほどではないし、「じぶんのこういうところはかわいい」と気に入っている部分も多少はある。鏡を覗きこむたびに「げっ、おもったよりブサイクだった」とイマジナリーなわたしと現実のわたしの乖離にうんざりすることはあっても、深刻におもいつめるようなコンプレックスはない(十代のころとか、容姿コンプレックスでしにそうになっていた時期もあったけれど)。

ただ、むかしからずっと、振り向かない相手ばかりをすきになるという癖は変わっていない。でもわたしは「じぶんを愛せない」わけじゃないし、「誰のことも愛せない」わけでもない。じぶんのことはほどほどにすきだし、ともだちを愛しているし、推したちのひとりひとりを――とりわけ中島健人さんのことを愛している。

そうおもえるようになって、またひとつ、この身にかけられた呪いがとけたのかもしれない。

わたしはちょっと酸味のつよすぎるキレートレモンサワーを飲みながら、ルームメイトに教えてもらった「リスロマンティック」というセクシュアリティが、ひょっとするとじぶんのありようを説明するにはもっとも便利なことばなのかもしれない、とぼんやり考えたり、けれども「リスロマンティック」という概念だけではひろいきれない欲望がきざすことも確かだと、であるならばじぶんはいったい何なのかと、そもそもじぶんが何なのかをどうして決めなければならなくて、どうして決めたくなってしまうのかと、うだうだ自問自答を繰り返したりしていた。

そんなとき、中島健人さんがテレビにあらわれた。

ミュージックステーションの特番が放送されることはあらかじめ知っていて、自宅のテレビでもばっちり録画予約の設定をしていた。けれども、今回の特番は10時間という長丁場(しかも例によって生放送)で、中島健人さんがどのタイミングで登場するのか、わたしは無論知らなかった。要するに、油断していたのだった。

自宅以外の場所で不意につけたテレビ、そこに映っている中島健人さん。いまわたしがテレビを見ているのと同じ時刻に、同じTokyoのどこかで(彼のソロ曲にもじってI'm in Tokyo now.だけどYou're too far away from me nowだとわたしはおもう)、テレビ朝日のスタジオに鎮座ましましている中島健人さん。

まず動悸がした。次に涙が出てきた。

曲の出番のまえのトークコーナーで、ジャニーズWEST重岡大毅さんとじゃれあっている場面からもう耐えられなかった。Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWESTと3グループがいて、各グループの交流について聞かれているのに、ジャニーズWEST重岡大毅という個人を狙い撃ちして「ごはんに来てくれない、親友なのにツレない」とのたまう中島健人さん。それにちょっぴりはにかんだような笑顔で応対する重岡大毅さん。なんだこれは。全国にお届けされる生放送でなんてものを流してくれるんだ、とわたしは早くも感極まっていた。重岡大毅さんと中島健人さんは、水と油みたいに一見すると真逆のタイプのアイドルのようでいて、核となる部分に秘めている意識や情熱や技術に関しては、とてもよく似たところのある二人、だとおもう。その二人の友情を数年前から(勝手に)見守っているわたしの胸は、はりそけそうだった。

そればかりではない。

トークのあとに続いたジャニーズWESTのパフォーマンスも、A.B.C-Zのパフォーマンスももちろんすばらしかったのだけれど、やっぱりわたしの情緒がもっとも揺さぶられたのは、Sexy Zone「ぎゅっと」。

このブログでも「ぎゅっと」という歌のことは何度も書いているような気がするけれど、先に書いたような理由で――すきなともだちをひとりうしなってしまったことで落ち込んでいたわたしには、爪の先で容赦なく傷口をえぐられたあと、そっと消毒液を塗りこまれるような効果があった。

「ぎゅっと」の序盤には、こんな歌詞がある。

「普通に就職してだれかと結婚して 普通に帰って普通に眠る」

「だれかと結婚」するという「普通」が、「だれかと結婚」することが「普通」ではないアイドルによって歌われているのだ。「だれかと結婚」することを「普通」として、「だれかと結婚」しないことを「普通」ではないこととして捉える社会に憤りを感じているわたしは、このフレーズを聞くたびに動揺してしまう。社会への怒りややるせなさはもちろんだけれど、おおっぴらには自由に「恋愛」することすらままならないSexy Zoneが、そんな「普通」を歌うことに対する切なさとかなしさ。そして、Sexy Zoneが歌う「普通」の範疇からはみ出しているじぶんに対する情けなさと恥ずかしさ。

さみしいな、とわたしはおもう。

アイドルのファン――アイドルの歌を聞いていると想定される層の「普通」に、まちがいなくわたしは入っていない。そしてその「普通」に、アイドル自身も入ることはできない(彼らがアイドルである以上)。さらにそれらの屈託と関係がないようであるような次元のはなしとして、わたしはまたともだちをうしなってしまった。じぶんの感情をコントロールできない状態で、他人と親密な関係を築こうとしたじぶんに非があることはあきらかだけれど――だとしても、さみしいものはさみしい。

間奏のあいだに「おじいちゃんおばあちゃん、セクシーサンキュー」と言う中島健人さんはさいこうにチャーミングで、わたしは心臓をそれこそ「ぎゅっと」掴まれたようになってしまった。中島健人さんはきょうもこの上なく愛らしく、しぐさも声もすべてがスウィートで非の打ちどころがなかった。なのにわたしはツラくなってしまった。じぶんが「おばあちゃん」になっても、たぶん隣には誰もいない。生殖したくない。というかそもそも「おばあちゃん」になるまで生きていたくない。少なくとも中島健人さんよりはやくしにたい。中島健人さんのいない世界に生きていたくない。そんなことどもがいちどきに脳裏を駆け抜けていった。

厳密に言うと、ひとりがさみしいというのでも、「普通」になれないのがさみしいというのでも、すきになってくれたひとをすきになれないことがさみしいというのでも、ない。どうしてさみしいのか、どんなふうにさみしいのか、何をどうしたらさみしくなくなるのか。一切わからない。わからないけれど、ただただ痛烈にさみしい。

きのう久しぶりに読み返しただいすきな小説に、こんな一説がある。

「淋しさはたぶん人間の抱える根元的なもので、聡のせいではないのだろう。自分一人が対処すべきもので、誰かに――たとえ夫にでも――救ってもらえる類のものではないのだろう。」

「聡」というのは語り手の女性の夫の名。「普通」に「だれかと結婚」していても拭えないさみしさを抱えている夫婦ふたりが、それぞれに違う相手と恋をする『スイートリトルライズ』というこの作品は、正直に言って小説としてはあらが目立つ。稚拙なところもある。けれども、ふわふわした現実味のなさと、笑っちゃうような俗っぽさのバランスが絶妙で、嘘みたいに「スイート」な読後感がやみつきになってしまうのだった。上にひいたのも、かれこれ10年近く反芻しているフレーズだ。

にんげんはさみしい。あるときからわたしが漠然と、けれども痛切に感じてきたさみしさを、ここまで的確に言いあらわしているせりふは他になかった。この小説は、わたしを安堵させる――とともに、なおいっそうさみしくさせる。



すでに紹介したとおりだけれど、この小説でさみしさを語るひとたちは、異性と「結婚」をして、また別の異性と「恋」をしている。わたしはこのひとたちじゃないし、このひとたちもわたしじゃない。さみしさの理由も対処法もわからないと言ったばかりだけれど、わたしのさみしさの一部は、間違いなくこのことに関わっているのだろう。

異性と恋をすること、異性と婚姻関係をむすぶことが「普通」であるとおもわれていること。

かといって、これもすでに書いたことだけれど、同性とならつつがなく恋ができるかというと、決してそうではないのだ。きっと誰しもそうだけれど、わたしの欲望は複雑で、こんがらがっていて、矛盾だらけで、ひとを踏みにじる(可能性が高い)。こんなふうに考えていると、生きているのがあっさりといやになってしまう。あしたから仕事がはじまるし、しばらく定時には上がれない日々がつづく。

ああ、もうなんもかもやんなっちゃったな、とじわじわ膿を吐きながら広がる傷口に、中島健人さんは、そしてSexy Zoneは、そっと消毒液を吹きかけてくれる。「結婚」や「普通」をめぐって散々わたしを切りつけたその口で、彼らはこんなことを言うのだ。

それでも夜は明けるけれど 君にとってはツラいんだろうな」

そう。わたしはツラい。整体でギックリ腰一歩手前と宣告されたからだが痛んで寝苦しくても、泡盛で焼けた喉の痛みがいつまで経っても治らなくても、どんなにしごとが憂鬱でも、それでも夜は明けるけれど、わたしはツラい。わたしを「普通」という刃で斬りつけたその手で、あっけらかんとわたしの、わたしたちのツラさを肯定してくれるSexy Zone。もうわかんない。なにもわかんない。わたしはただ北極星のように見上げればいつも同じところで光りつづけてくれている中島健人さんを目指して、すすんでいくほかない。ないんだけれど、いまツラいこの気持ちを、どうしたらいいんだろう。情緒がぼろぼろだよ。とりあえずもう一杯だけ飲んで帰るね、あしたも生きるために。

24時間テレビなんていらねえよ、夏

24時間テレビが好きじゃない。ぜんぜん好きじゃない。むしろ虫酸が走るほど嫌いだ。わたしはジャニーズのおたくになって久しいけれど、どれだけ好きなアイドルが出演していようとも、24時間テレビ関連の企画は、なるたけ目に入れないようにしていた。そしてじっと夏が終わるのを待った。

もちろん、今年もそうなる予定だった。

いつかその日が来るかもしれないと覚悟はしていたものの、わたしの敬愛してやまない中島健人さんが所属するSexy Zoneが今年の24時間テレビのメインパーソナリティーになると発表されてから(それも例年よりはやく)、わたしは案の定いたく落ち込んだ。大好きな中島健人が、大好きなSexy Zoneが、大嫌いな24時間テレビに出る――想像しただけで具合が悪くなりそうだった。というかマジでなった。24時間テレビ当日が近づけば近づくほど、中島健人の発信する情報にふれるのがつらくなった。中島健人はわたしにとって生きる意味であり、生きる希望だ。にもかかわらず、その中島健人に接していてさえしんどいというのは、生活にかなりの差し障りがあった。

わたしが24時間テレビを好きになれないのは、番組内における障害や病気の扱い方に強い違和感を覚えるからだ。「障害や病気を抱えているカワイソウなひとびと」の人生を都合よく切り取って、「悲劇」「努力」「家族の愛情/自己犠牲」といったエッセンスをまぶして「感動的な物語」に仕立てあげる。「健常者」が安心して涙することのできる「障害者」の物語は、ほんとうに隠しておきたいことを隠しておくためのカモフラージュのようだ。

たぶん、地球を救うのは「愛」ではない。いや、もしかしたら「愛」が原動力のひとつになることはあるかもしれないけれど、少なくとも「愛」だけでは無理だとおもう。地球を救うのは知識と、権利と、それらに基づいた適切な支援ではないだろうか。「愛」なんて茫漠とした何かに頼るのではなく(それでは単なる思考停止だ)、「障害者」を取り巻く現実に目を向け、考えること。

と、武道館で24時間テレビを観覧しながら、わたしはこれまでの自身の態度を猛省していた。


――そう。あろうことか、24時間テレビの観覧に参加してきたのだ。これだけ文句を言っていながら、中島健人さんに、Sexy Zoneに会いたくて朝4時に起きて単身武道館へ乗り込んだのだった。じぶんの信条を曲げたつもりはない。24時間テレビは存在そのものが危険だとおもっているし、できればなくなってほしいと願っている。にもかかわらず、中島健人に会いたいという気持ちには勝てなかった。最後におすがたを拝んだのは7月1日。1ヶ月以上経っているし、次にいつお会いできるのか、まったく目処が立っていなかった。

わたしは欲望に負けた。24時間テレビの仕事をしている中島健人さんをみるのはしんどくて、心臓に金属の欠片が埋め込まれているように、刺されるような痛みを感じていたけれど、それでも中島健人さんに会いたかった。

ほんとうに、まさか当たるとはおもっていなかったのだ。どうせ当たらないのだから、というかるい気持ちで、少クラやその他の番組協力に申し込むときのように24時間テレビの観覧に応募してしまった。むしろ当たらなければいいとすらおもっていた。にもかかわらず、いざ当選メールが来てみると叫び声を上げてしまった。ケンティーに会える! と一瞬で舞い上がった。けれどもすぐに血の気が引いた。「感動ポルノ」の一部に中島健人が利用されているところなんて見たくない。ぜったいに見たくない。

そうおもいながらも、気がついたら「参加する」という意思表示をしていた。わたしは矛盾のかたまりである。


さて、では実際に観覧に行ってみてどうだったかというと、中島健人に関してはきょうもパーフェクトにすてきだった。24時間テレビは2日間にわたって行われるのだけれど、わたしが参加した2日目の観覧はなかなかハードだ。朝6時半前には集合し、会場に入って観覧が始まるのは7時ごろ。基本的にはそこから夜の21時まで、武道館内にいることが求められる(いわば、14時間程度推しと同じ空間に軟禁されているのだ。いつまででも閉じ込められていたかった、これが24時間テレビじゃなければ)。

想像していた以上に、時間はあっという間に過ぎた。

だって、中島健人がステージにいる。本物の。生身の。生きて歌い踊る中島健人が。彼の一挙手一投足を、わたしは固唾をのんで見守っていた。ゲストの歌で誰よりもたのしそうに振りつけを踊る中島健人さん。じぶんが転んだとき巻き込み事故的に転倒させてしまった番組スタッフの背中に手を添えて、やさしく抱き起こす中島健人さん。メンバー佐藤勝利さんからCM中にこっそりフリスクをもらってお茶目な仕草で食べてみたり、また逆にこれ以上キザなフリスクの食べ方があるだろうかというぐらいにかっこつけて食べてみたりしていた中島健人さん(ちなみに、フリスクのくだりではメンバーとのじゃれ合いが非常に微笑ましく、佐藤勝利さんにフリスクのあの白い箱を太股におかれるなど、ちょっかいも出されていた。愛らしすぎる)。

きわめつけは、クライマックスの挨拶だ。5人それぞれが番組の企画で出会ったひとびととの思い出を語り、じぶん自身のこれまでとこれからを語るとてもエモーショナルな演出のされる場面。わたしが確認できたうち、涙でことばに詰まっていたメンバーは2人いた。佐藤勝利さんと、中島健人だ。

中島健人は、「これまでぼくはアイドルとして完璧を求めすぎるあまり、弱音をこぼせずにいました。」といったような趣旨の発言をしていた。彼は泣いていた。


いま、このタイミングで、中島健人が自身の「弱みをさらけ出せないという弱み」を口にしたこと。ようやく、口に出してくれたこと。

映画にバラエティにコンサートに24時間テレビにと、一目散に駆け抜けてきたことを知っているし、中島健人というひとは、基本的にそれが解決したあとでなければ悩みを吐き出してくれない。彼のファンになってから――というか、彼がわたしの生きる意味、生きる希望になってから、わたしは耐えずそのことにやきもきしていたような気がする。どんなに完璧に見えても、ケンティーだって人の子だ。無理をしてはいけない、無理をさせてはいけない。そうおもいながらも、ただ遠くで悶々とすることのしかできないおたくは、「ケンティーはこんなに頑張ってるのに、わたしときたら……」と、あきらかに間違った落ち込み方をしていた。実に情けないけれど。

でも、きょう、中島健人さんが、ようやっとメンバーとわたしたちの前で「弱音をこぼせずにいた」ことを言葉にして伝えてくれた。そして、同じく涙を浮かべていた佐藤勝利さんも、「ひとりで抱え込んで周りに相談できずにいた」ことをじぶんの言葉で、話してくれた。わたしが唯一24時間テレビに推しグループが出て良かったとおもえたのは、2人のこの涙と、言葉があったこと。アイドルグループとして、ビジネスパートナーをこえた運命共同体として、彼らがじぶんの「弱み」をメンバーに託せるようになるのだとしたら、それはすばらしいことだとおもう。

けれども、観覧のあいだ、わたしは何度もつらくなってしまった。「障害」「難病」を抱えながらも、「前向きに」「ひたむきに」「頑張っている」ひとびと=マイノリティの映像に、涙を流している「健常者」=マジョリティたち。そこには、マジョリティのお気に召すマイノリティ――つまり、マジョリティが「応援」したくなるようなマイノリティであれ、という抑圧が確かにあった。反吐が出そうだった。

どうして障害を持っているひとたちを「頑張らせる」必要があるのだろう? トライアスロンに挑戦していたみやぞん氏のメッセージが思い起こされる。「ぼくがトライアスロンをしているからといって、『じぶんは何も頑張っていない』とおもわないでほしい。みんなはいつも頑張ってるんだから」と、みやぞん氏は語っていたそうだ。「感動ポルノ」の毒を満身に浴び憔悴していたわたしに、そのメッセージはちょっとした救いのように響いた。「頑張る」という表現が適切かどうかはさておき、「じぶんが何もしていないとは思わないでほしい」という彼の発した言葉を、この番組そのものに投げつけたいとおもった。


ところで、今年の24時間テレビのテーマは「人生を変えてくれた人」だった。わたしの人生を変えてくれたひとがいるとしたら、そのうちのひとりはまず間違いなく中島健人さんだ。

わざわざ専門の試験のために2年間も勉強して就職した公務員の仕事をやめ、大学院に入り直して文学を、というか創作を学んだ。修士論文の執筆を支えてくれたのは、他ならぬ中島健人さんだった。彼をおもい、彼に捧げるつもりで、わたしは松浦理英子という作家について論じた。「恋愛」というひとつの権力関係において、ことばがどのように作用するのか、といったところに焦点をあてているのだけれど、言わずもがな、わたしに恋愛とことばというテーマを与えてくれたのは、中島健人である。

だからこそ、わたしは中島健人さんに言いたい。

いや、中島健人さんひとりに背負わせるのは、中島健人さんひとりに突きつけるのは、ひょっとしたら酷なのかもしれない。けれども、常にそこからこぼれ落ちてしまうひとびとのことを案じ、どうしても年若い女性を想定しているようにおもえてしまう「セクシーガールズ」という呼称を、ファンを属性で規定しない「セクシーラバーズ」にアップデートしたあなたなら、いつかこたえてくれるのではないかとおもうのだ。

おたくのひとりよがりであることは充分わかっている。それでも、わたしの人生を変えてくれて、いまなお支え続けてくれている中島健人さんにだからこそ、伝えてたくなってしまったのだった。

あなたの仕事が、あなたの関わった仕事が、誰かを踏みつけてしまうこともあるのだ、と。

あなたがわたしたちに向けてくれる「愛」は、わたしたちを理解しよう、理解したいというあなたのアイドルとしてのプロ意識に裏打ちされている。だからわたしは、あなたがわたしたちファンに向ける「愛」を信じている。

その姿勢を、きっとあなたなら何事にも適用できるとおもう。ひょっとしたら、すでにしてくれているのかもしれないけれど、あなたがわたしたちファンに対してしてくれているように、マイノリティのひとびとにも接してほしいのだ。決してわかったつもりにならず、わからないことをその都度確認しながら、知り続けようとしてほしいのだ。

なんにせよ、「愛」だけじゃ地球は救えない。24時間テレビなんていらねえよ、夏。……と、そんな風に毒づきながらも(世代がバレるネタ)、推しをねぎらわずにはいられない複雑なおたく心だった。お疲れさま、健人くん。お疲れさま、Sexy Zone

生まれ変わったらジャニーズJr.になる

にんげんが抱きうるもっとも強い情動は恋愛に関するものだ、という風潮がなんとなく世間にはある。けれど、少なくともわたしの場合は、じぶんに恋愛感情を抱いているにんげんから言葉を尽くしてその好意を伝えられるより、先輩グループのバックについて全力を出しきった公演が終わって間もなく、上気した顔のシンメに「いつかおまえとテッペンを取りたい」と告げられる方が、はるかにうれしいし、興奮する。息を整える間も惜しい。肩を上下させながら、「おれも同じことおもってた」と、上ずった声でシンメに答える。……もちろん、現世ではまだそんな場面を体験したことはないので、単なる妄想に過ぎないんだけれど。

そう。わたしには恋愛がよくわからない。わからないというよりは、恋愛感情なんかよりもっとずっと、アイドル同士の感情を信じている節がある。

 

そもそも、まずはじめにわたしは二宮和也になりたかった。「なりたかった」と過去形で語るのは適切ではないかもしれない。今でもなれるものならなりたいとおもっている。とはいえ、もっとも彼に執心していたのは中学生から高校生だったころのある時期だった。

コンサートのソロコーナーでこの上なくエモーショナルに柴田淳「夢」を弾き語る彼のすがたを見て、周りの大人はみんな敵だと言わんばかりの警戒心むき出しな瞳でスタジオを睨みつける彼のすがたを見て、「二宮和也はわたしだ」とおもった。いや、むしろ「わたしが二宮和也だ」とおもった。

真偽のほどはもちろんわからないけれど、二宮和也というひとには、むかしから恋愛にまつわるうわさが耐えなかった。今よりももっと多感で、けれどある意味では単純だったわたしは、「でも、二宮和也がどんな恋愛の失敗をしたとしてもいいの、彼はずっと嵐を見捨てないし、嵐もずっと彼を見捨てないもの」なんて、おかしいくらいにおもいつめていた。特にジュニア時代から不思議となついていた大野智との関係や、幼馴染といってもいいであろう相葉雅紀との関係は、二宮和也=わたしにとって重要なものであると考え、「相葉さんは二宮和也=わたしにとって、まさに半身とも言うべき存在」「大野さんは二宮和也=わたしにとって、渡り鳥が羽根を休める止まり木のような存在」などとひたすらエモがっていたのだけれど、あるとき気づいてしまった。

わたし、二宮和也じゃない。

わたしが二宮和也ではないということは、二宮和也もわたしではなく、したがって、わたしが二宮和也として大野智相葉雅紀と関係することはできないということだ。

 

これは由々しき事態だった。なにしろ、当時のわたしにとってもっとも親密でもっとも理想的なにんげん関係というのが、「二宮和也と嵐のメンバー(特に前述の二人)の関係」だったからだ。恋人でも、親友でも、家族でもなく。

そして、わたしが二宮和也ではないということは、わたしにその「もっとも親密でもっとも理想的なにんげん関係」が閉ざされているということに他ならない。わたしは絶望した。なにしろ、当時懸想していた年上のおんなともだちとも「大野と二宮ごっこ」をしていたぐらい、親密なにんげん関係を考えるときの基盤が彼らだったのだ。 

 わたしは、得体の知れない「恋愛」なんてものよりずっと、愛してやまないアイドル同士の関係を、感情を、信じていた。どうしたってじぶんがそこに入ることはできないということに、気付いてしまってからもずっと。

 

「大野と二宮ごっこ」に付き合ってくれたおんなともだちとは、数年もだもだしたあげく別れた。別れ際に「いつかこれは気の迷いだったって分かるときが来るよ。さっさと良い男を捕まえなさい」と言われたのが癪で、けれども同時にしぬほどかなしくて、「これが気の迷いじゃなかったことを証明してやる」という気持ちと、「異性との交際を経験しなければ何も言い返せない」という気持ちでぐちゃぐちゃになり、結局わたしは幾人かの異性と交際した。たのしかったこともあるし、できればもうなかったことにしたい思い出もある。

数年を経ていまおもうのは、やっぱり、彼女とのできごとが「気の迷い」であるはずはなかったということ。そして、彼女のことをいまでも特別に感じるのは、彼女がわたしの根幹にある欲望を誰よりも理解してくれたから、だとおもう(ひょっとしたら、彼女も同じ欲望を抱いていたのかもしれない)。

それはつまり、アイドルになって、アイドルとして、同じアイドルと親密な関係を築きたいという欲望だ。

 

容姿をほめられるのはうれしい。書いた文章について感想をもらえるのもうれしい。好意を伝えられるのも虫唾がはしるほど嫌なわけじゃない。でもたぶん、わたしがいちばんうれしいのは、じぶんのパフォーマンスを褒められたときだ。あのコンサートのセトリがどうだったとか、あの演出がすごかったとか、新曲のダンスが良かったとか、ソロ曲の作詞がすてきだとか、シンメとの一糸乱れぬ動きがすばらしかったとか。それをファンに言ってもらえるのももちろん有り難いことだけれど、グループのメンバーや、シンメに言われたら。いや、ことばにして言われなくてもいい。忙しい合間をぬってソロコンサートの見学にきてくれるとか、じぶんの出番を袖からこっそり見守ってくれているとか、そんなことで充分なのだ。

ああ! アイドルになりたい! でもどんなアイドルでもいいわけじゃない。ジャニーズになりたい。ジャニーズのアイドルでなければ意味がない。ジャニーズJr.になって、生涯をともにするようなシンメと出会って、同じグループでデビューして二人で「テッペン」をとりたい。

 

何かを考えるうえで、かならずしも経験が必須となるわけではない、とおもう。「大野と二宮ごっこ」をしていた彼女に、「良い男を捕まえなよ」という捨て台詞を残された経緯もあって、わたしの場合は「うるせえ! そんなに言うなら男と付き合ってやるわ!」と自棄になってしまった部分もあるけれど、その経験はぜったいに必要だったかと言われると、よくわからない。

ただ、起きてしまったことはどうしようもないから、その経験を踏まえて振り返ってみると、わたしはやっぱり特別異性が「好き」なわけではないようだ。恋愛的な意味では。その一方、異性のジャニーズのアイドルに対しては「なりたい」と羨望するほど強い感情を抱いている。それは言うまでもなく、恋愛感情とは異なる種類のものだ。けれども、「ジャニーズになりたい」からといって、現世を生きるこのからだ、おんなのからだをどうにかしたいのかというと、そういうわけでもない。おんなとして生きている、生きざるを得ない現実がつらくなることもあるけれど、だからといって「男になりたい」とはおもわないのだ。

わたしはただ、ジャニーズのアイドルをしている推しと、「異性」として向き合わなければならないことがしんどい。アイドルとファンとして現世で巡り会えたことには感謝してもしきれないけれど、欲を言うのであれば、「異性」として出会いたくはなかった。わたしは推しと、同じ生業をもつ同性として出会いたかった。

 

「大野と二宮ごっこ」の相手をつとめてくれた彼女と別れてから、交際したり、ほぼ交際していたような間柄に近い距離だったりした相手は、何人かいた。異性ばかりでなく、同性もいたけれど、わたしの欲望に対して、彼女と同等の理解や共感を示してくれた相手はいなかった。にもかかわらず――というより、だからこそと言うべきか――わたしはずっとジャニーズになりたいとおもいつづけている。

交際相手とふたりでいるとき、どんなに親密さを感じることができたとしても、推しの、推したちの関係を目の当たりにすると、わたしはじぶんたちの関係がなんだかよくわからなくなってしまう。

ほんとうは恋愛したいなんておもっていないのに、恋愛のことなんて何ひとつわかっていないのに、わたしはこのひとを騙しているんじゃないか? そんなわたしたちの間柄なんて、推したちののっぴきならない関係に比べたら、取るに足らない暇つぶしでしかないんじゃないか? なにもかもぜんぶくだらない。

じぶんの欲望が手に負えないからといって、ずいぶん身勝手な振る舞いをしてきてしまった、とおもう。わたしは「恋愛」がしたかったんじゃない。「アイドル」になりたくて、「アイドル」をしたかったのだ。でも、どうしたって現世でジャニーズに入ることはできない。ジャニーズに入れないのはもちろんだけれど、ジャニーズの推したちにとっての「アイドル業」のように、心血を注いで成し遂げようするものがわたしにはない。創作? 仕事? なんだかどれも違う気がしてしまう。一生懸命になれるものがないなら、「シンメ」になんて出会えるわけないじゃん。ここまで考えて、いつもわたしはふてくされてしまう。

 

けれども、ひとつの転機があった。

転機――なんていうと大袈裟すぎるかもしれないけれど、それは今年のセクシーゾーンのコンサートでのできごとだった。

このブログでも何度か書いてはいるのだけれど、横浜アリーナで行われたある公演で、トロッコに乗った中島健人がわたしの目の前を通りすぎた。視線が合ったのだろうか。いや、合ってはいないだろう。合っていないとおもう。でも、そうおもわされるには充分な距離と間合いで(たまたま両隣や前後に中島健人のうちわを持っているひとがいなかった)、ダイヤモンドのように飛び散る彼の汗を、わたしは肉眼で目撃してしまった。

かんぺきだ、あまりにかんぺきなひとだ、とおもった。

じぶんのつまらない屈託などどうでもよくなった。圧倒的なうつくしさだった。目に入るもの、耳に届くもの、肌で感じるもの、彼から発せられたすべてのものがわたしにとって「快」だった。得も言われぬ時間だった。わたしは悟った。彼を知ってからずっと、彼になりたいとおもっていた。中島健人になりたいとおもっていた。けれども、中島健人になりたいとおもうにんげんが、中島健人になることはできない。なぜなら、中島健人は、中島健人になろうとおもって、中島健人になったわけではないのだから。

現世で中島健人になることができないのなら、来世で中島健人と出会いたい。中島健人はきっと、来世もジャニーズのアイドルになってくれるだろう。であるならば、わたしも来世はジャニーズJr.に入所して中島健人と出会い、切磋琢磨してデビューを勝ち取りたい。同じグループになれたら無上の喜びだけれど、違うグループとしてデビューするのでも良い。関ジャニ大倉氏とキスマイ北山氏のように、中島健人さんとジャニーズWEST重岡さんのように、つかずはなれずの距離で刺激を与えあう事務所内の良き友人になれるのなら、それはそれで素晴らしいことじゃないか。

 

わたしはそのとき中島健人をごく間近から見つめて、ある意味では吹っ切れたのだろう。わたしには恋愛がよくわからない。じぶんの欲望さえ持て余している。けれども、現世ではまあそれでいいじゃないか。無理して「恋愛」をすることもない。かんぜんに同種の、同質の欲望を抱いているひとなんて探したっているはずもないけれど、笑って話せるひとがゼロなわけじゃないんだし。どんなにしんどくて、孤独におもえても、「適応」する必要はない。切羽詰まったら書けばいい。

そういえば、愉快なルームメイトは「50代目不二周助役のテニミュ俳優になる」といっている。また、「転生したらジャニーズJr.になりたい」といっているインターネット上の友人もいるし、「来世は推しのマイクになりたい」といっているひともいる。生まれ変わってジャニーズJr.になったら、テニミュ俳優のルームメイトといつか連ドラで共演し、現世の友人と事務所で再会し、マイクになった友人を探し当て、いつかコンサートツアーで一緒に全国をまわりたい(推しじゃなくてごめんなさい、と謝りつつ)。

そんなこんなで、24時間テレビが近づいてきたりとか、どう考えても推しが働きすぎだったりとか、いろいろしんどいこともあるけれど、わたしは生まれ変わったらジャニーズJr.になる。ちなみに、ジャニーズJr.になって踊りたい曲ランキングベスト3(2018年8月時点)は、「愛してる愛してない」「Mr.Jealousy」「夜の影」。いつでもジャニーズJr.になれるよう、心の準備だけは万端なのだった。もうちょっと現世もたのしむつもりだけれど。