推しの仕事を推せない

箸が転んでもかなしい、という時期がある。わたしは元来陰気なたちなので、月のほとんどがその時期にあたるんだけれど、きょうもきょうとてそんな気分だった。

職場のひとらと折り合いがつかず、頼まれた仕事の目途もたたず、途方に暮れ涙ぐみながら、休憩時間中にSummer Paradise 2017のBlu-rayディスクを楽天ブックスで予約した。

ランチに入った中華料理屋(主菜の大盛りが無料でご飯も食べ放題なので、たいして美味くはないが気に入っている)の店員さんには、おもいっきり怪訝な顔でみられた。確かにわたし不審だったとおもう。ごめんね店員さん。

さて、Summer Paradise、通称サマパラとは、普段はグループで活動をしている某事務所所属の若手アイドルが、それぞれにソロコンサートを催すイベントで、ここ数年、わたしの推し――もといわたしの唯一にして最大の希望である中島健人さんも、参加していた。特に昨年のサマパラは思い出深い。数年ぶりに中島健人さんと再会を果たした、特別な現場だったからだ(「再会」にいたるまでの経緯とか、そもそもどうしてそれが「再会」になるぐらい離れていた時間があったのかとか、そのほかもろもろの事情はまた追々書きたい)。

ひるま、サマパラをおもって情緒が乱れてしまったのは、仕事がしんどいとか、生活がしんどいとか、そういう理由もあるけれど、いちばんこたえたのは、今年のサマパラに推しが出ないこと。どうして今年のサマパラに推しが出ないのか、その理由はなんとなく分かっている。

推しの所属するグループが、24時間テレビのメインパーソナリティーに選ばれたからだ。


はっきり言って、わたしは推しに24時間テレビに出てほしくなかった。これを書きなぐっているいまも痛切に感じている。出てほしくない。いまからでも遅くないから嘘だと言ってほしい。いや、そもそも24時間テレビという番組そのものが消えてほしい。

アイドルを好きでいて――特にジャニーズを好きでいて――つらくなる瞬間というのは、残念なことに、正直たくさんある。事務所の体制がアイドルをぜんぜん守ってくれないものだったり。アイドルたちの関係に濃密なホモソーシャルの雰囲気を感じてしんどくなったり。ファンコミュニティのなかで、ヘテロセクシュアルではないじぶんの居場所が、どこにもないと感じたり。

そのなかでも、この「24時間テレビ問題」は避けては通れない深刻な問題のひとつだ。

 

ほんとうは、わたしだって推しのすべての仕事を推したい。推しがこの仕事をうけてものすごく喜んでいることを知っているから。推しは常々「トップをとる」という趣旨の発言をしているけれど、24時間テレビの仕事が、「トップをとる」ためのステップになるって、なんとなく分かるから。だからこそ、推しの夢に、推しの目標につながる仕事を応援したい。応援したかった。

けれども、わたし自身の思想、信条に照らして、「24時間テレビ」的なものを認めることは到底できない。

「ひたむきに頑張る障害者」のすがたに涙する「健常者」。おぞましいにもほどがある、とおもう。「感動」を消費するコンテンツとして「障害者」を動員することは、いっけん「障害者」に歩み寄っているかのようにみえて、実態はその真逆だろう。

ほんとうに考えなければいけないことを考えなくてすむように、「健常者」にとって都合のいい部分だけを切り取って、「障害者」を「感動」コンテンツに仕立て上げる。端的に言って反吐が出る。

わたしは専門的にこの分野の勉強をしてきたわけではないけれど、「マジョリティ」を脅かすことのない「マイノリティ」だけが生存を許されるのは、ちゃんちゃらおかしいとおもう。

「マジョリティ」が認めようが認めなかろうが、「マイノリティ」は存在している。そもそも、誰かが存在することに対して、他の誰かの許可なんているかよ、というはなしなのだ。

 

このように悪名高い(とわたしはおもっている)24時間テレビでは、毎年、さまざまなジャニーズのアイドルがパーソナリティーを担当してきた。これまでじぶんの好きなアイドルたちが、24時間テレビの「感動」ノリを強いられているすがたをみて、わたしはただただしんどかった。

いや、「みて」と言ったけれど、実際、ほとんどみていられなかった。企画やドラマのコンセプトもひとつひとつが漏れなく地雷だし、マラソンにいたってはシンプルに意味が分からない。それにそもそも24時間ぶっ続けで生放送するという形態もどうかとおもう。推し、生身のにんげんなんだよ!!生きてんだよ!!頼むからこれ以上無理させないでくれよ!!!!!!!!

とはいえ、ここまで散々文句を言ったのに、いざ放送当日になったら恐る恐る番組をみてしまっていそうな予感もして、いたたまれない。だって推しはみたい。けれども絶対に嫌な思いをするということは分かっている。いくら推しが全力を注いでいる仕事だからといって、わたし自身の思想信条をまげてまで許容することはできない。でも、なによりも「アイドル」として働いている推しのすがたを、わたしは愛している……。

答えはでない。

 

さきほども書いたけれど、これは24時間テレビに限ったはなしではないのだ。たとえばバラエティ番組で、ゲストとして登壇したいわゆる「オネエタレント」にスキンシップを図られて、推しが心底不愉快そうな顔をするとか。「ニッポンすごい」系のコンテンツで推しが「ニッポン」上げをしているとか。ホモフォビア全開のコンテンツに推しが出演しているとか。推し同士が、ある属性や立場のひとびとへの偏見に満ちた差別的な会話を交わしているとか。

そういう仕事を推しにあてがう事務所だったり、テレビ業界そのものだったりが憎いこともあるけれど、場合によっては、推し自身に失望してしまうこともある。

どうしてそんなおもいをしてまでアイドルを推しているんだろうって、じぶんでも考えて込んでしまったりする。推しの仕事を推せないわたしは、ファンとして失格なんじゃないか。まじりけのない「好き」という感情を推したちに向けることのできないわたしに、ファンでいる資格はないんじゃないか。

また、こんな風におもうこともある。修士号までとって、専攻ではないとはいえジェンダーセクシュアリティを学んできたわたしが、じぶんの信条と相容れない(ことの多い)対象を好きでいていいのか、と。アイドルおたくとしてのじぶんが、文学やセクシュアリティを学ぶ者としてのじぶんを裏切っているんじゃないか、と。

 

それでもアイドルが好きなわたしは、矛盾に満ちている。何度もやめようとおもった。実際にまったくアイドルを追わなかった時期もあった。でも、好きでいることはやめられなかった。だからといって、好きだからしょうがないと居直ることもできなかった。

推しのすべてを愛しているけれど、推しのすべての仕事を推せるわけじゃない。そういうわたしは勤勉なファンではないし、望まれているファンでもないだろう。ファンコミュニティにも、ずっとじぶんの居場所はないとおもってきたし、たぶんこれからもそれは変わらないとおもう。きっと、百人ファンがいれば百通りの推し方がある。わたしにはこういう推し方しかできないのだ。

推しが間違った方向に進もうとしていたら、刺し違えてでも止める(もちろんそんなことにはなってほしくないし、ならないことを信じてもいるけれど)。それくらいの覚悟と気概をもって推しを推していきたいし、それが、日々推しに生かしてもらっている、わたしにできることだとおもう。だからこそ、わたしは学び続けていきたい。学び続けていかなければいけない。

 

それでもね。矛盾に満ちたおたくであるところのわたしは、やっぱり切におもう。推しには夢を叶えてほしい。ぜったい「トップ」をとってほしい。けれども「国民的」アイドルにはなってほしくない。「ニッポン」なんて背負ってほしくない。推しにはいつまでもケンティーラバーズである「わたしたち」のアイドルでいてほしい。

だから24時間テレビなんかよりずっと、今年もあなたのサマパラがみたかったよ。