推しは生きている

ときどき、推しが生きていることにびっくりする。というか、推しが生きていることに、推しと会うたびに驚いている。

え、待って。生きてる? 中島健人生きてる? ちょっとまじで言ってるそれ?

昨年のサマパラ(中島健人さんのソロコンサート)で数年ぶりの再会を果たしたときは特にこの症状がひどく、開演間際なんかほとんど吐きそうだった。もちろん実際には吐かなかったけれど、誤字しまくってくだらないツイートを何度も再投稿するぐらい、取り乱していた。

当時は「まあ久しぶりだからかな」ぐらいにしか思っていなかったものの、症状は回を追うごとに悪化していった。サマパラの次に中島健人さんのご尊顔を拝んだのは、11月に行われたザ・少年倶楽部の公開収録のことだった。NHKホールの前で会場を待ちながら、わたしは付き添ってくれた母の腕を掴んで震えていた。

待って待って待って、いる? いまこの中に中島健人いる? むりちょっとまじで意味がわかんない。

その日の収録では、サマパラで初めてお披露目された中島健人さんの最新ソロ曲「Mission」をみることができて、わたしは帰りの山手線に乗るまでずっと震えていたのだけれど、そんな調子だから今年のツアーは言わずもがな。

連休中(3~6日)は毎日横浜アリーナに通った。4日間で合計5公演入ることができたけれど、毎公演、開演が近づいてくると心身の調子が優れなくなってきた。とことんこじらせたおたくだから、気の置けないおたくのともだちがいない。弱音を吐けるのはTwitterしかない。一緒に入ってくれた知人に、「どうしようほんとむり中島健人生きてるむり」と、すがるわけにもいかない。

わたしはいまだに、「推しの実在」を受けとめきれていないのだ。

 

どうしてだろう、と考えてみれば、心当たりがないわけじゃない。日夜あまりにも推しのことを想いすぎているからとか。推しを理想化するあまり現実とのギャップを認めるのが怖いからとか。少なくとも、これまでの推しの場合はそうだった。実在している推しそのものではなく、じぶんの頭のなかで練り上げた「概念」としての推しを愛してしまい、生身の推しにふれてガッカリしてしまうことを恐れていた。そんな愛し方ばかりしていた時代が確かにあった。

中島健人さんの場合も、以前はそうだった。「今のあなたはわたしのすきな”ケンティー”じゃない」というような感情が募りに募って、彼の情報にふれることがつらい時期があった(具体的にいえば、某言いなりになんてならない映画の主演をしていた前後の時期なのだけれど、くわしい経緯はまたの機会に)。

でも今はそうじゃない。中島健人が生きている事実、中島健人が生身のにんげんである事実に直面して動揺してしまうのは、別のおおきな原因がある。

たぶん、わたしは中島健人のことをすきになりすぎてしまった。

 

この週末はSexy Zoneが助手として参加する「嵐のワクワク学校」に登校してきた。ワクワク学校にSexy Zoneが出るのは2年目のことだけれど、いま以上に生活に余裕のないセクシー大学院生だったわたしは登校を見送っていたから、嵐×Sexy Zoneのワクワク学校は初めてだった(嵐がまだ単独で行っていたころのワクワク学校には、何度か登校したことがあるけれど)。

ワクワク学校は東日本大震災の年に開校した。「コンサートのように電力をたくさん使わなくても、何かできることがあるのではないか」という嵐の想いから始まったイベントらしく、だから今でも、ワクワク学校では歌も踊りもない。すべての「授業」が終わったあとに「校歌」を歌う場面はあるけれど(それも直立不動で)、ほんとうにそれだけ。アイドルたちは、じぶんが担当するコマ以外は、椅子に座って「授業」を聞いている。

そんなわけで、わたしははなから油断していた。けれども事件は起きた。土曜日のことだった。

中島健人さんにお会いするのは55日ぶりだった。基本的にはグラウンドの中央に据えられたステージで「授業」がすすめられるので、わたしは油断していた。嵐やSexy Zoneの面々がステージを降り、いまいち趣旨のわからないリレーや、ドッヂボールのがちんこ対決に打ち興じても、外野席の前列に座っていたわたしは「あ~なんかやってるな~」ぐらいにのんきに構えていた。リレーもドッヂボールも、中島健人さんはつねにわたしの死角にいたから、ある程度おだやかな心持ちでディスプレイを見守っていた。

だから、「校歌斉唱」の時間が終わり(わたしは不真面目な生徒なのでほとんど歌わなかったものの)、それぞれのメンバーがトロッコに乗り始めたとき、わたしは「おや?」とおもった。わたしの死角に立っていたはずの中島健人さんがお乗りになったトロッコは、ホームベースのあたりをぐるりとまわって、やがてわたしのいるレフト側にゆっくりと近づいてきた。

え、ちょ、待て待て待て待て待て。やばいやばいやばいこのままだと中島健人こっちに来るんだけど。

ロッコは進路を変えず、中島健人はこっちに来た。

切ったばかりの前髪が可憐に揺れている。スタンド席、バルコニー席、そして2階席にていねいに視線をすべらせながら、ひとりひとりのファンに向けて手を振る仕草は蝶のようにかろやかで、蜜のように甘い笑顔とあいまって、背後には東京ドーム一面のお花畑が広がっていた(わたしの目にはそう見えた)。

使うことはないだろうなとおもいつつ、念のためメゾンドフルールのトートバッグに忍ばせていたうちわで顔の半分くらいを隠しながら、わたしはかたまっていた。うちわの柄をもつ手が汗ばんでいる。からだが痺れて感覚がなくなっていたけれど、視界のすみでじぶんの右手がぎこちなく揺れていたから、なんとか手を振り返そうとしていことは確かだ。目が合ったかどうかはわからない。推しがわたしを見たかどうかもわからない。いや、でもそんなことはどうでもいいのだ。どうでもよくはないけれど、いいのだ。

中島健人、近くにきた。中島健人、生きてた。

 

中島健人さんが生きているなんて、もちろんずっとわかっていた。

「授業」中、こまめに台本を開きながら進行を確認していたご様子だったのに、じぶんの出番でミスをしてしまったお姿を目の当たりにして、「あっ生きてる」っておもった。中島健人でもまちがえるんだ。ミスを指摘されて照れ笑いをしている表情はとてつもなくキュートで、たいへん愛らしかったのだけれど、それはなんだか、アイドルとしての「ケンティー」とひとりのにんげんとしての「中島健人」のあわいを垣間見てしまったかんじで、心臓を鷲づかみにされたみたいに胸がくるしくなった。

また、VRを利用して観客にかき氷を「あーん」して食べさせてあげるという見せ場では、「ケンティー」節を発揮しつつ、菊池風磨くんの絶妙な合いの手に「中島健人」として素の笑みをこぼしてしまうという一幕もあり、わたしは泣きそうだった。というか泣いていた。中島健人の実在はもちろん、「ふまけん」の実在を、つまり中島健人菊池風磨の関係が現に続いているもの、続いてゆくものであることを、あらためて痛切に感じたからだ。

かき氷のくだりが終わったあと、中島健人さんはじぶんの席に戻りがてら、菊池風磨さんに歩み寄ってなにか耳打ちをしていた。笑いながらなにかささやきかけていた。

そして、たのしげな表情を浮かべてじぶんの席に戻った中島健人さんと、菊池風磨さんの座っているすがたを見て、なんだか感動してしまった。わたしは座席の位置的に彼らを横から見ていたのだけれど、ふたりのからだは、ぜんぜん厚みがちがった。華奢ですっきりと椅子におさまっている中島健人さんに対し、菊池風磨さんはどちらかというと窮屈そうに座っていて、がっちりとした上半身を持て余しているように見えた。

あっ、生きてる……。このふたり生きてる……。別々の肉体と別々の意思をもったふたりのにんげんがジャニーズ事務所で出会い、いろいろな、ほんとうにいろいろなことがあって、たくさん壁を乗り越えて、いま、東京ドームのステージに並んで座ってる……。

 

目の前をゆっくりと通りすぎていった中島健人さんを見送りながら、わたしがおもいだしていたのは、先の「ふまけん」のくだりだった。

それをおもいだしながら、わたしは「もっと、もっと」とおもっていた。もっと近くにいきたい。けれども中島健人さんに「ファンサ」をしてほしいとか、認知されたいとか、そういう欲望を持っているわけじゃない。「わたし」のままで中島健人さんに近づきたいんじゃない。そう、いうなれば彼の「シンメ」として、近づきたい。でもそんなことは無理だ。だとしても近くにいきたい。もっと近くに。

中島健人さんが生きていて、アイドルをしてくれていて。「ケンティー」としてわたし(たち)の前に立ってくれること、それだけで充分だったはずなのに、いつしかわたしは「推しのシンメになりたい」という欲望まで抱くようになっていた(と同時に、シンメではなく「推しそのものになりたい」という欲望も持っているのだけれど、そのはなしは今回は割愛)。

中島健人さんが生きていること、中島健人さんの実在を受けとめきれていないのは、わたしが中島健人さんをすきになりすぎて、彼と関係したくなってしまったからだ。もちろん実際に関係を持てるわけじゃないし、持ちたいわけでもない。「わたし」としては、万が一できると言われたってそんなこと無理だ、全身全霊で逃げ出すとおもう。わたしは彼の「シンメ」として、彼のとなりに立ってみたかった。彼に背中を預けられてみたかった。

それができないとわかっているからこそ、わたしが「わたし」として中島健人さんと関係せざるを得ない現実がしんどくて、中島健人さんの実在そのものすら、どうやって受けとめたらいいのかわからなくなってくる。

予期せぬ近距離に中島健人さんがいらしたことにより、わたしは混乱した。もちろん、まず何よりも感動があった。Sexy冠で放映されたバレエの特訓の成果でもあろう姿勢のきれいさ、所作のうつくしさ。そして顔。とにかく顔がいい。わたしはありとあらゆるにんげんの顔のなかで、中島健人の顔がいっとうすきだ。顔だけじゃない。からだも声も、すべての生き物のなかでもっとも理想的な形態をしているとおもっている(これは美醜の問題というよりは、わたしの愛情や思い入れのもんだいだ)。

感動の次に、戸惑いがあった。ひょっとしたらいま、中島健人さんの視界に入っているわたしは、なんなんだろう。わたしのいまのすがたは適切なすがたじゃない。おんなで、異性愛者じゃなくて、事務所の方針に賛同できなくて、24時間テレビも応援できない、そういうわたしが、中島健人さんの視界に入るのはふさわしくない……。

わたしは、あなたの「シンメ」になりたかった。「シンメ」として、あなたと関係したかった。いま、げんに生きている、生身のからだをもったあなたと。ときには間違え、ときには失敗もする、等身大のあなたと関係してみたかった。

 

「わたし」として26年ばかりも生きてしまったわたしが、いまさら推しの「シンメ」になれるはずもなく、わたしの欲望はどうころんだって叶いようがない(叶わないとわかっているからこそ、安心して欲望していられる)。また、ひとりのファンとして中島健人と関係を持っていられることに感謝もしている。たぶんそれ以外のなんらかの関係を持つことはできない相手だからこそ、「アイドルとファン」という関係だからこそ、わたしは中島健人のことをこんなにすきになった。

しかし、それでもなお、わたしは「推しのシンメになりたい」という欲望を捨てられない、あきらめきれない。

日曜日の公演、先にふれたVRかき氷の場面で、ケンティーは4万5千人の前でキス顔を披露した。それもぜいたくなリップ音つきだった。わたしはそれをファンとして楽しんだ。恋愛感情ではないけれど、「ケンティーというアイドルのパフォーマンス」としては満点以上のものだとおもったし、そういうパフォーマンスを生で味わえたことにとても興奮した。

けれどもわたしが推しのシンメだったら、そのパフォーマンスにこんな反応をしたかった、だとか。映画の撮影や冠番組で限界だったはずの推しに、こんな風に声をかけたかった、だとか。詮無いことばかり考えてしまうけれど。

推しはきょうも生きていて、しゃかりきにアイドルをしている。わたしもしゃかりきに「わたし」を生きなければ、とおもうのだった。仕事も、創作も。