24時間テレビなんていらねえよ、夏

24時間テレビが好きじゃない。ぜんぜん好きじゃない。むしろ虫酸が走るほど嫌いだ。わたしはジャニーズのおたくになって久しいけれど、どれだけ好きなアイドルが出演していようとも、24時間テレビ関連の企画は、なるたけ目に入れないようにしていた。そしてじっと夏が終わるのを待った。

もちろん、今年もそうなる予定だった。

いつかその日が来るかもしれないと覚悟はしていたものの、わたしの敬愛してやまない中島健人さんが所属するSexy Zoneが今年の24時間テレビのメインパーソナリティーになると発表されてから(それも例年よりはやく)、わたしは案の定いたく落ち込んだ。大好きな中島健人が、大好きなSexy Zoneが、大嫌いな24時間テレビに出る――想像しただけで具合が悪くなりそうだった。というかマジでなった。24時間テレビ当日が近づけば近づくほど、中島健人の発信する情報にふれるのがつらくなった。中島健人はわたしにとって生きる意味であり、生きる希望だ。にもかかわらず、その中島健人に接していてさえしんどいというのは、生活にかなりの差し障りがあった。

わたしが24時間テレビを好きになれないのは、番組内における障害や病気の扱い方に強い違和感を覚えるからだ。「障害や病気を抱えているカワイソウなひとびと」の人生を都合よく切り取って、「悲劇」「努力」「家族の愛情/自己犠牲」といったエッセンスをまぶして「感動的な物語」に仕立てあげる。「健常者」が安心して涙することのできる「障害者」の物語は、ほんとうに隠しておきたいことを隠しておくためのカモフラージュのようだ。

たぶん、地球を救うのは「愛」ではない。いや、もしかしたら「愛」が原動力のひとつになることはあるかもしれないけれど、少なくとも「愛」だけでは無理だとおもう。地球を救うのは知識と、権利と、それらに基づいた適切な支援ではないだろうか。「愛」なんて茫漠とした何かに頼るのではなく(それでは単なる思考停止だ)、「障害者」を取り巻く現実に目を向け、考えること。

と、武道館で24時間テレビを観覧しながら、わたしはこれまでの自身の態度を猛省していた。


――そう。あろうことか、24時間テレビの観覧に参加してきたのだ。これだけ文句を言っていながら、中島健人さんに、Sexy Zoneに会いたくて朝4時に起きて単身武道館へ乗り込んだのだった。じぶんの信条を曲げたつもりはない。24時間テレビは存在そのものが危険だとおもっているし、できればなくなってほしいと願っている。にもかかわらず、中島健人に会いたいという気持ちには勝てなかった。最後におすがたを拝んだのは7月1日。1ヶ月以上経っているし、次にいつお会いできるのか、まったく目処が立っていなかった。

わたしは欲望に負けた。24時間テレビの仕事をしている中島健人さんをみるのはしんどくて、心臓に金属の欠片が埋め込まれているように、刺されるような痛みを感じていたけれど、それでも中島健人さんに会いたかった。

ほんとうに、まさか当たるとはおもっていなかったのだ。どうせ当たらないのだから、というかるい気持ちで、少クラやその他の番組協力に申し込むときのように24時間テレビの観覧に応募してしまった。むしろ当たらなければいいとすらおもっていた。にもかかわらず、いざ当選メールが来てみると叫び声を上げてしまった。ケンティーに会える! と一瞬で舞い上がった。けれどもすぐに血の気が引いた。「感動ポルノ」の一部に中島健人が利用されているところなんて見たくない。ぜったいに見たくない。

そうおもいながらも、気がついたら「参加する」という意思表示をしていた。わたしは矛盾のかたまりである。


さて、では実際に観覧に行ってみてどうだったかというと、中島健人に関してはきょうもパーフェクトにすてきだった。24時間テレビは2日間にわたって行われるのだけれど、わたしが参加した2日目の観覧はなかなかハードだ。朝6時半前には集合し、会場に入って観覧が始まるのは7時ごろ。基本的にはそこから夜の21時まで、武道館内にいることが求められる(いわば、14時間程度推しと同じ空間に軟禁されているのだ。いつまででも閉じ込められていたかった、これが24時間テレビじゃなければ)。

想像していた以上に、時間はあっという間に過ぎた。

だって、中島健人がステージにいる。本物の。生身の。生きて歌い踊る中島健人が。彼の一挙手一投足を、わたしは固唾をのんで見守っていた。ゲストの歌で誰よりもたのしそうに振りつけを踊る中島健人さん。じぶんが転んだとき巻き込み事故的に転倒させてしまった番組スタッフの背中に手を添えて、やさしく抱き起こす中島健人さん。メンバー佐藤勝利さんからCM中にこっそりフリスクをもらってお茶目な仕草で食べてみたり、また逆にこれ以上キザなフリスクの食べ方があるだろうかというぐらいにかっこつけて食べてみたりしていた中島健人さん(ちなみに、フリスクのくだりではメンバーとのじゃれ合いが非常に微笑ましく、佐藤勝利さんにフリスクのあの白い箱を太股におかれるなど、ちょっかいも出されていた。愛らしすぎる)。

きわめつけは、クライマックスの挨拶だ。5人それぞれが番組の企画で出会ったひとびととの思い出を語り、じぶん自身のこれまでとこれからを語るとてもエモーショナルな演出のされる場面。わたしが確認できたうち、涙でことばに詰まっていたメンバーは2人いた。佐藤勝利さんと、中島健人だ。

中島健人は、「これまでぼくはアイドルとして完璧を求めすぎるあまり、弱音をこぼせずにいました。」といったような趣旨の発言をしていた。彼は泣いていた。


いま、このタイミングで、中島健人が自身の「弱みをさらけ出せないという弱み」を口にしたこと。ようやく、口に出してくれたこと。

映画にバラエティにコンサートに24時間テレビにと、一目散に駆け抜けてきたことを知っているし、中島健人というひとは、基本的にそれが解決したあとでなければ悩みを吐き出してくれない。彼のファンになってから――というか、彼がわたしの生きる意味、生きる希望になってから、わたしは耐えずそのことにやきもきしていたような気がする。どんなに完璧に見えても、ケンティーだって人の子だ。無理をしてはいけない、無理をさせてはいけない。そうおもいながらも、ただ遠くで悶々とすることのしかできないおたくは、「ケンティーはこんなに頑張ってるのに、わたしときたら……」と、あきらかに間違った落ち込み方をしていた。実に情けないけれど。

でも、きょう、中島健人さんが、ようやっとメンバーとわたしたちの前で「弱音をこぼせずにいた」ことを言葉にして伝えてくれた。そして、同じく涙を浮かべていた佐藤勝利さんも、「ひとりで抱え込んで周りに相談できずにいた」ことをじぶんの言葉で、話してくれた。わたしが唯一24時間テレビに推しグループが出て良かったとおもえたのは、2人のこの涙と、言葉があったこと。アイドルグループとして、ビジネスパートナーをこえた運命共同体として、彼らがじぶんの「弱み」をメンバーに託せるようになるのだとしたら、それはすばらしいことだとおもう。

けれども、観覧のあいだ、わたしは何度もつらくなってしまった。「障害」「難病」を抱えながらも、「前向きに」「ひたむきに」「頑張っている」ひとびと=マイノリティの映像に、涙を流している「健常者」=マジョリティたち。そこには、マジョリティのお気に召すマイノリティ――つまり、マジョリティが「応援」したくなるようなマイノリティであれ、という抑圧が確かにあった。反吐が出そうだった。

どうして障害を持っているひとたちを「頑張らせる」必要があるのだろう? トライアスロンに挑戦していたみやぞん氏のメッセージが思い起こされる。「ぼくがトライアスロンをしているからといって、『じぶんは何も頑張っていない』とおもわないでほしい。みんなはいつも頑張ってるんだから」と、みやぞん氏は語っていたそうだ。「感動ポルノ」の毒を満身に浴び憔悴していたわたしに、そのメッセージはちょっとした救いのように響いた。「頑張る」という表現が適切かどうかはさておき、「じぶんが何もしていないとは思わないでほしい」という彼の発した言葉を、この番組そのものに投げつけたいとおもった。


ところで、今年の24時間テレビのテーマは「人生を変えてくれた人」だった。わたしの人生を変えてくれたひとがいるとしたら、そのうちのひとりはまず間違いなく中島健人さんだ。

わざわざ専門の試験のために2年間も勉強して就職した公務員の仕事をやめ、大学院に入り直して文学を、というか創作を学んだ。修士論文の執筆を支えてくれたのは、他ならぬ中島健人さんだった。彼をおもい、彼に捧げるつもりで、わたしは松浦理英子という作家について論じた。「恋愛」というひとつの権力関係において、ことばがどのように作用するのか、といったところに焦点をあてているのだけれど、言わずもがな、わたしに恋愛とことばというテーマを与えてくれたのは、中島健人である。

だからこそ、わたしは中島健人さんに言いたい。

いや、中島健人さんひとりに背負わせるのは、中島健人さんひとりに突きつけるのは、ひょっとしたら酷なのかもしれない。けれども、常にそこからこぼれ落ちてしまうひとびとのことを案じ、どうしても年若い女性を想定しているようにおもえてしまう「セクシーガールズ」という呼称を、ファンを属性で規定しない「セクシーラバーズ」にアップデートしたあなたなら、いつかこたえてくれるのではないかとおもうのだ。

おたくのひとりよがりであることは充分わかっている。それでも、わたしの人生を変えてくれて、いまなお支え続けてくれている中島健人さんにだからこそ、伝えてたくなってしまったのだった。

あなたの仕事が、あなたの関わった仕事が、誰かを踏みつけてしまうこともあるのだ、と。

あなたがわたしたちに向けてくれる「愛」は、わたしたちを理解しよう、理解したいというあなたのアイドルとしてのプロ意識に裏打ちされている。だからわたしは、あなたがわたしたちファンに向ける「愛」を信じている。

その姿勢を、きっとあなたなら何事にも適用できるとおもう。ひょっとしたら、すでにしてくれているのかもしれないけれど、あなたがわたしたちファンに対してしてくれているように、マイノリティのひとびとにも接してほしいのだ。決してわかったつもりにならず、わからないことをその都度確認しながら、知り続けようとしてほしいのだ。

なんにせよ、「愛」だけじゃ地球は救えない。24時間テレビなんていらねえよ、夏。……と、そんな風に毒づきながらも(世代がバレるネタ)、推しをねぎらわずにはいられない複雑なおたく心だった。お疲れさま、健人くん。お疲れさま、Sexy Zone